滋賀県多賀町周辺の廃村(その2)−桃原・屏風・後谷
2009年5月4日



 ゴールデンウィーク6日目。思い立って以前から興味を惹かれていた滋賀県多賀町周辺の廃村へ行ってみることにした。霊仙山の滋賀県側、多賀町(一部彦根市)には比較的狭い範囲に廃村が集中しているのである。そして、どの村も非常に山深い。

 (その2)として取り上げるのは桃原(もばら)・屏風(びょうぶ)・後谷である。この三集落は旧芹谷村の一部であり、芹谷川へと落ちてゆく山肌の中腹にある。これら集落が生きていた時代は車道も無く、険しい徒歩道が唯一外界と通じる道であった。

 杉からは杉坂峠を下り、栗栖へ出てきた。栗栖は多賀町の平地の東端に位置し、従って山村という雰囲気は無い。また、その立地もあって過疎の村という雰囲気も無い。
 下ってきた杉坂峠は後年(ひょっとしたら旧脇ケ畑村が廃村になった後)に作られた車道であり、往時はそれよりも僅かに南、谷沿いの徒歩道で行き来していたようだ。


 栗栖からは県道を北東へ折り返す。川を左岸へ渡り、山を駆け上がり、中腹に現れる平地にあるのが桃原である。面積は狭いが、斜面にへばりついている感じは余りしない。


 

 
 



 桃原は比較的手が入っている家が多く、右写真の家なぞは何か倉庫のようなものを造作中である。勿論、定住してはいないのだろうが、多賀町中心に比較的近いこともあって訪れる人も多いのであろう。


 崩れ始めた家屋。赤い屋根と赤い壁土、黒い壁板のコントラストが面白い。











 これは桃原集落の奥にあった山へ入って行く道。バイクでの進入は勿論不可能であるが、国土地理院の2万5千分の1で確認すると杉へ通じる徒歩道のようだ。無論点線で描かれている。かつて多賀の村々を繋いだのはこのような道だったのであろう。それも昭和の遅くまで。


 山を下り、今度は谷の南斜面を上る。桃原と同じように山の中腹に現れた平地に屏風がある(この辺、マピオンでは集落の記号はおろかそこへ至る道すら描かれていない。ただ地名が残るのみである。経路や地形を知りたいならば国土地理院のHP、ウォッちずの参照をお勧めする)。



 屏風は無人集落であるもののきちんと管理されており、ご覧の通り見た限りでは廃屋も無い。 無人だからと言って所有権まで放棄している訳でないのは当然である。諸事情あって、屏風には深入りしなかったので写真はこれだけである。

 
 
 谷から屏風へ上がっていく道を途中で分岐し、谷筋を上がっていくと後谷がある。
 それまでの狭い道からはちょっと想像できない平場に、数軒の家屋が存在していた。左写真の2軒は時折使われているようであり、十分に住めるように見えた。










 が、当然廃屋もある。住まわれなくなった家とはこういうものである。












 屏風、後谷を訪問して山を下りる途中、対面にある山を撮ってみた。自分も今、あれと同じ高さ、同じ深さの山にいるのである。返す返すも、よく住んでいたなと思う。



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