中国地方ツーリング(その5)−帰省

2009年8月9日〜8月15日


 たまたま機会を得たので、以前より行きたかった島根県石見銀山と広島県呉市のてつのくじら館へ行ってみることにした。十数年ぶり(?)のキャンプツーリングである。だがしかし、この旅を総括するキーワード、それは『雨』だ!

【8月13日(木)】
 
 起床 05:00

 今日の行き先は決めていない。この後は奈良にある実家へ帰省するだけなので、今日中に着けば良し、着かなければまた適当にキャンプするだけである。

 世羅から山の中の道を東へ向かうつもりであったが、そこはそれ(笑)、標識につられて海側の尾道へと向かう。

 途中、何故かシフトが上手く入らない、後輪のあたりの感触がおかしいなと思いながらも、長旅の疲れが出ているせいだろうと思いつつ進む。

 尾道駅の辺りで不図バックミラーを見ると、パッキングが悪かったせいか荷物の形が何かおかしい。


 路肩に停めてリア回りを確認してびっくり。
 固縛されたままたズリ落ちた荷物を後輪が巻き込んでいたのだ。写真左が巻き込んだ荷物である。シート上の荷物と巻き込んだ荷物は紐でつながったままだったので、ナンバープレートがくの字に折れ曲がってしまっている。







 最初に確認した時は右写真のように荷物がタイヤとフェンダーの間に挟まっていた。
 タイヤの左半分は荷物との摩擦でおなしな具合に融けている。おまけに、フェンダーを留めているタイラップとプラリベットが片方づつ飛んでいた。




 これがその挟まれた荷物の惨状。化繊のウエストポーチは摩擦で融けている、幸い、発見が早かったらしく、中身は落としていない。実は、このポーチの中には更に財布や携帯を入れた小型ポーチが入っていたのだ。

 しょうがないので、このポーチはこの先のコンビニで捨てた。








 尾道からは国道2号で岡山の里庄町に入る。道沿いに理化学研究所の仁科博士(我国 原子物理学の泰斗)の生家があった。国道を挟んで反対側には仁科記念館もあったのでちょっとだけ見学。長岡半太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、アインシュタイン、ボーアなど、懐かしい名前(って知り合いじゃないよw)がいっぱい出てきた。








 その後、倉敷の街並みをちょっとだけ探索。家族連れとアベックが多かったので、早々に退散。観光用に残してある少しの街並みの他は、普通の小都市でした。









 国道2号を離れて、しまなみブルーラインを走行。途中の虫明SA(?)から見た瀬戸内海の島々。




 ブルーラインを降りてから、閑谷学校へ向かう。閑谷学校とは、江戸時代に岡山藩が創設した郷士のための学校である。支那風の建物に見えるがその通り。当時の学問といえば儒学(朱子学だっけ?)、きちんと孔子廟もあるのである。
 それにしても藩が武士ではない農民のために学校を作るとは何とバブリーな、と思ったが、やはり元禄年間に作られていた。



 




 閑谷学校は、そのまま明治年間まで使われた。右はその明治時代の建物である。こういう趣の建物は好きだ。





 これは学校の奥にある黄葉亭という東屋。ここは四季の風景が美しく、頼山陽もここを訪れその景色を絶賛したという。









 学校前の売店にて。
 これは食べなくてはならない(笑)











 カラメル様のドロッとしたしょうゆがかかっている。そいえばこんなような物をかけて食べる餅があったなぁ。味は普通、かな。



 国道2号に戻り赤穂まで来ると、その筋のディープなマニアには有名だったドライブイン よろい がある。「有名だった」とは、現在はつぶれてしまったからである。
 看板にもある通り、ドライブインに併設して旧日本陸海軍の飛行機、兵器の残骸を展示していたのである。これら貴重な残骸は、他のマニアや博物館に無事引き取られているらしい。もっとも、差し押さえの対象になるとも思えないが。それにしても、潰れる前に一度来ておくべきであったと悔やまれる。岐阜から赤穂はちょっと遠いのだ。





 国道2号を更に明石までやってきた。道沿いにカワサキの明石工場発見。カワサキ製のバイク(国内生産分)は全てここで造っているのだ。











 そして明石とくれば天文台、日本標準時子午線である。もっと大層なものを想像して、ワクワクしながら行ったのだが、白線と矢印だけかよ…。

 東南アジアのどこやらにある赤道の線もこんな感じなんだろうな、きっと。










 こちらは天文台の全景。塔の中心を縦に通っているのが標準時子午線の位置だろう。




 神戸駅前のクリスタルタワー(だっけ?)。
 バイクを造っている川崎重工の本社である。
 総ガラス張りで、リクルートビルのようだ。ここから海側へ歩くと、程なく潜水艦を造っている川崎造船がある。









 さてこの後は、武庫川を越えて奈良の実家へ一直線。
 大阪から奈良へ至るには、例の暗がり峠を越えるコース、大和川沿いの国道25号、阪奈道路、第二阪奈道路がある。最も近いのは第二阪奈だが有料道路なのでパス(ただし使うととてつもなく速いのだが)。大阪市内の中心部を抜け、RSタイチの本店を横目で見ながら阪奈道路を通ることにする。それにしても阪奈の大阪側の急勾配は、雪国岐阜では間違いなく冬季通行止である。

 そんなこんなで、今日はちょっと長い一日だったが無事に実家着。

 
 就寝 22:00
 本日の走行距離 372km (TOTAL 1474km)


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