中国地方ツーリング(その4)−てつのくじら

2009年8月9日〜8月15日


 たまたま機会を得たので、以前より行きたかった島根県石見銀山と広島県呉市のてつのくじら館へ行ってみることにした。十数年ぶり(?)のキャンプツーリングである。だがしかし、この旅を総括するキーワード、それは『雨』だ!

【8月12日(水)】
 
 起床 06:00

 昨夜の就寝が遅かったので、起床も遅い。とはいえ、十分寝た訳ではない。
 テントの前で一晩中猫が盛って鳴いていたのと、明け方に花火を打ち上げる輩がいたのとでぐっすりと寝た状態からは程遠い。が、まぁいい。今日の最初の行き先は呉のてつのくじら館、開場は9時なので7時過ぎに出発すればいいだろう。

 R54を南下、で予想通り広島市内で道に迷う。呉への方向はわかっているのだが、標識が無い。なんでだろ?


 てつのくじら館とは、海上自衛隊呉資料館のことである。
写真の通り、本物の潜水艦(SS−579 あきしお)を展示している。艦体の向こうに見えている建物は、資料館である。
 それにしても、本物の潜水艦を陸に上げて展示してあるのは、世界でもここだけではないだろうか? 海上自衛隊、恐るべし(笑)


 
 
 



 資料館に入ると、受付の向かいにてつのくじら館協力者一覧がある。このサイズの画像にしてしまうと何が何だかわからないが(笑)、資料協力者の中に川崎重工業と三菱重工業の名前があるのである。川崎重工業は日本で初めて潜水艦を造った会社、そして海上自衛隊の潜水艦を造っているのはこの二社だけである。







 一階と二階は掃海(機雷を除去すること)関係の展示である。海上自衛隊の任務の柱は対潜水艦戦と掃海戦であり、対空戦及び水上打撃戦については重きを置いていない。そして、海上自衛隊の掃海は艦船で行うだけでなく、世界的にも珍しい、航空機(ヘリコプタ)による掃海も行うのである(他には米海軍があるのみ)。ちなみに、掃海ヘリMCH−101は川崎重工業がライセンス生産をしている。


 三階からは、いよいよ潜水艦の展示だ。
 エントランスには「海上自衛隊の潜水艦の原点『くろしお』」とある。(蛇足:海自潜水艦には「〜しお」と言う名前をつけることに決まっていた、つい最近までは)
 「くろしお」とは、戦後米海軍から貸与を受けたガトー級(ちょっと待て、ガトー級って太平洋戦争で我国の艦船をじゃかすか沈めたヤツらだ。いいのか、をい)のミンゴだそうだ。





 ここでちょっと基礎知識として、潜水艦の動力について述べておく。
 潜水艦の動力(エンジン)には「通常型」と「原子力」がある(スターリングエンジン搭載艦についてはちょっと置いておく)。
 通常型と呼ばれるのはディーゼルエンジン及び電動モータを搭載した型である。ディーゼルエンジンが燃焼(作動)するためには空気が必要(酸素が無いと物は燃えない)なのだが、潜航中はエンジンの吸排気ができない。そこで通常型潜水艦は、潜航中はバッテリを使って電動モータによりスクリューを回す。バッテリへの蓄電は浮上中(主に夜間)、もしくは潜行したままシュノーケルと呼ばれる吸排気塔のみを海面上に出した状態で、ディーゼルエンジンにより行うのである。
 原子力潜水艦の場合、核反応という化学現象を利用してタービンを回しているので、原子炉への酸素の供給は必要ない。このため、実用上は浮上することなく行動することができる。
 念の為付記しておくが、我が海上自衛隊の潜水艦は全て通常型である。


 これがくろしおのカッタウェイモデル。
 直径21インチ(52.5cm)の魚雷発射管を前方に6基、後方に4基搭載する。魚雷は発射した後の次発装填に時間がかかるので、前方を撃った後は180°回頭して後方の発射管から撃つのである。
 艦体下部に見えている黒いのは件のバッテリである。くろしおの諸元は下記の通り。

 水中排水量  2410 ton 
 全長  95 m
 全幅  8.2 m
 水上速力  21 kt
 水中速力  9 kt
 最大潜行深度  90 m
 兵装  21インチ魚雷発射管 10門
 他


 そしてこれがあきしおのカッタウェイモデル。くろしおが船の形をしているのに比べて、あきしおは涙滴型と呼ばれる葉巻のような形の船型をしており、くろしおとはずいぶんと違う。時代とともに潜水艦の水中能力が向上し、次第に船型も水上航行に適した形から水中航行へ適した形へと進化していった結果である。あきしおの諸元は下記の通り。

 水中排水量  2450 ton 
 全長  76 m
 全幅  9.9 m
 水上速力  12 kt
 水中速力  20 kt
 最大潜行深度  450 m
 兵装  533mm魚雷発射管 6門
 他

 ほぼ同サイズ、同規模の兵装を持つ両艦であるが、あきしおの水中速力の向上(水上速力は減少しているが、これは水中航行に適した船型とした結果である)と、潜水艦の命ともいうべき最大潜行深度の増大には目を見張るものがある。これは、構造様式と、それから素材の向上の結果であろう。

 潜水艦には、当然ながら朝も夜も来ない。しかしそれでは生活のリズム(?)が狂うので、夜間(の時間帯)は照明を赤くする。下の写真は、左が通常の照明下で見た食事、右が赤い照明下で見た食事である。「この状態であなたは食べられますか?」とあった。確かに、あまり美味そうには見えない…



 

 潜水艦の主力兵器、魚雷である。と、さり気なく書いているが、魚雷の内部構造やスクリューの様子がわかる展示は余りないので貴重である。
 とはいえ、興味ある人は少ないか…

蛇足その1:潜水艦の魚雷発射管からは、魚雷だけではなくて最近はミサイル(水中発射のハープーン、等)も発射するらしい。

蛇足その2:国産魚雷は全て三菱重工業(佐世保)製である。

蛇足その3:魚雷開発は、旧海軍の時代は艦政本部、海上自衛隊となった今でも技術開発官(船舶担当)の領分、すなわち艦船部隊の所轄である。面白いことにというか、そうであるが故にというか、航空機専用として開発された国産魚雷は存在しない。航空機から投下する魚雷は全て、まず艦船用として開発されたものを航空機用として改造したものである。そして、航空機からの投下を想定して開発されていても、航空部隊の意見は容れられないのである(そうしてたまに「航空機に搭載できない航空魚雷」が出来上がるのである)。ついでに言っておくと、旧海軍及び海上自衛隊における爆弾開発は航空部隊の所掌(従って艦船部隊の意見は容れられない、尤も需要も無いが)であり、ミサイルは艦船部隊も航空部隊も関係ないところで開発される。


のんきに説明していると、なんかすっげー長くなりそうな気配がしてきたので、意図的にはしょる(笑)
 (好きなこと、興味のあることを喋り始めると止まらないのだw)

 

 この後もいろいろな展示があるのだが、紹介はすっ飛ばして早速あきしおの中へ入る。



 







 右の扉が、あきしおの左舷側中央に設けられた入り口。勿論、展示のために新設した入口である。



 これが本当の入口。
 天井部に穿たれた直径数十cmの穴、これがあきしおの艦内と外界を結ぶ唯一の扉である。
 ちなみに、この扉の厚さは秘中の秘だ。それにより本艦の命ともいうべき最大潜行深度が推定されてしまうからだ。









 トイレ(左)とジャワー室(右)。これに関しては航空機の方が狭いが、こっちはここで生活しているのである。










 
 幹部寝室、3段ベッドである。上段との間隔は50cmほどだろうか。また、長さ(?)も余り無い。身長が180cmもあると入らないのでは?と思われる狭さだ。それでもここが、艦内唯一の個人空間なのである。



 幹部食堂。強いて言うなら、新幹線の3人掛けの椅子を向かい合わせにした程度の広さ。ただしこちらは4人掛けで、かつ天井はずいぶんと低い。











 艦内通路が狭く、十分に引いて写すことができなかったので上手く表現できていないが、ここが艦長室。乗組員で唯一、艦長のみが個室を与えられる。が、だ。奥に見えるベッドの枕元と思しき位置には各種電話、警報器(?)等が並んでいる。航海中は、決して安眠できないのである。









 発令所。操艦その他の指揮を執る場所であり、広さは四畳半程度。左写真は発令所後方にある海図台。奥の時計は、間違いなくSEIKO製だ、きっと(笑)











 発令所左舷側には各種計器、表示器が並ぶ。何のためのものだかは、さすがにわからない(苦笑)。











 右写真は左舷前方、操舵員の席である。潜水艦の舵は冒頭の写真のように十文字になっているのであるが、左席が横舵といって縦の舵(左右をコントロール)を、右席が潜舵といって横の舵(上下をコントロール)を操舵するのである。尤も最近では、戦闘機のような操縦桿でもって一人で操舵するようになっているらしいが。



 発令所右舷側にあったディスプレイだが、何だったろう?興奮して見ていたので何も憶えていない(苦笑)
 「解析イメージ」と書いて貼ってあるが、恐らくプロッタだろう。ソナーその他で探知した目標の位置をこの画面に入力、表示しておくのだ(違っていたらごめんなさい)。








 ここまで書いてきて、えらいことに気づいた。発令所内の潜望鏡の写真が無いではないか!! 覗くのに夢中で撮り忘れたらしい…orz。しかたがないので館内に展示してあった潜望鏡の写真で我慢して欲しい。発令所内には潜望鏡が2本、昼間用と夜間用である。昔はプリズムを使って直接外を見ていたのだが、今はCCDカメラの電子画像だそうだ。だったらわざわざこんな潜望鏡にしなくても良さそうなものだが、そこはそれ、潜望鏡がなくては潜水艦の気分が出ないのである(笑)。ちなみに、潜望鏡は360°回転するが、重い。映画を見ていると、素早く回転させるために二人で回す場面が出てくるが、嘘ではない。
 潜望鏡のメーカーは日本光学(NIKON)である。恐らく神代の昔からの専売であろう。



  艦内を出たところには実際に使っていた双眼鏡が展示してある。向こう側は現用のものだが、こちらは太平洋戦争当時、潜水艦イ−400に搭載されていたものである。

蛇足:イ−400は特殊攻撃機 晴嵐 3機を搭載した
 






 さて、てつのくじら館の次は隣にある大和ミュージアムだが、その前に。
 2〜3年前に「男たちの戰艦大和」という映画が公開になったのだが、この時、実物大の大和(の一部)をロケセットとして広島県尾道市に製作した。使用後は一般公開されていたはずなので、今回のツーリングの行き先に組み込むべく調べたのだが、公開終了という以上の情報は出てこなかった。あきらめていたのだが、なんと大和ミュージアムの駐車場2Fで一部(砲塔関連)が公開されているという(本体は恐らく解体)。



 で、行ってみた。低い天井、狭いエリアに砲塔関連が密集して配置されている。
 左は25mm機銃(盾付き)である。

 下左は25mm機銃、奥は副砲である。大和及びその同型艦である武蔵は15.5cmの副砲を3連装4基12門(新造時)搭載する。





















 そしてこれ(右写真)が主砲砲身である。エリアが狭く、十分に引いた写真になってないため、何が何だが(笑)。左奥の人物と大きさを比べて欲しい。また、中央の柱の影に見える白いものは主砲砲弾である。

 思えば戰艦大和と云う排水量6万4000トン、乗組員3000名余の巨体は、この46cm主砲3連装3基9門を撃つためだけに存在したのである。





 次は大和ミュージアムに入場。4年ほど前にも来たので、再訪である。展示の目玉は1/10スケール(26.3m)の大和。




















 さっきの駐車場では砲身だけだったが、主砲砲塔内部を示す模型。












 そしてもう一つの目玉、大和とくれば零戦である。62型らしいが、正確に判断するだけの材料は持っていない。
 記憶に誤りが無ければ、本機は昭和50年半ばに琵琶湖から引き上げられ、復元後は京都嵐山美術館に展示されていた。筆者もこの時代に二度ほど見に行っている。その後、嵐山美術館が閉館すると和歌山県白浜市のゼロパークに引き取られて展示されていたのだが、そこも閉館となり大和ミュージアムへやってきたのである。




 他にも展示はあるのだが、割愛。ただ、大和沈没時の全乗組員名簿を作成した努力は多としたい。


 オマケ。呉港から対岸の江田島、小用港へ向かう連絡船の待合室。我社は昇級すると江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校(旧海軍兵学校)で研修を行うのだ。その時も、ここから船に乗って江田島へ向かった。懐かしい…。









 大和ミュージアムを離れて次の目的地へ向かう。何と、ここでまたしても雨が降り出す。4日連続のカッパ着用である。


 呉港から少し東へ行くと、海上自衛隊第一潜水隊群があり、間近で潜水艦が見られる。写真が小さくて申し訳ないが、6隻が停泊している。セイル(司令塔)の数を数えてみて欲しい、6つあるはずである。第一潜水隊群は11隻の潜水艦を保有している(2隻は練習潜水艦)。








 更に東へ走る。上写真は音戸の瀬戸、と呼ばれるごく小さな海峡(?)である。向こう(倉橋島)とこちら(本土)を隔てているのは川ではなく、海。本土側の丘の上から伸びた音戸大橋は、島側に到達すると3回転ほどのループ橋になっている。


 実は、音戸大橋を渡って見たのだが、その途中の丘の上から自衛艦が見えた。空母の如きシルエットだが、我国は空母を保有していないので、恐らくおおすみ級の輸送艦だろう。

 かつて、帝国海軍健在なりし頃も同様に、ここから艨艟を望めたのかと思うと、万感胸に迫る思いである(?)。








 呉で降り始めた雨は比較的すぐに止んだのだが、その代わり暑くなってきた。このツーリングで、初めて夏らしい気温である。暑さに耐えかねて、かき氷を食す。中国地方から九州にかけてだけ売っている袋入りかき氷である。酔い覚ましにも甚だ都合が良いのであるが、今回は暑気払いw








 呉からは海沿いに竹原市まで抜け、その後はR432をひたすら北上して今夜の幕営地、世羅町へ向かう。


 途中、河内駅前で南東の方向に見えた不思議な橋(?)。方向からして山陽自動車道のようにも思えるが、何だろう?ちょっと記憶に無いくらい高いところを通っている。











 そしてこれも道すがらの風景。広島と言えば屋根が赤いのがお約束である。石州瓦というらしい。












 そして今夜の宿、世羅町のシャンテパルク新山キャンプ場へ到着。他に誰もいなかったので、念のため管理棟の屋根の下にテントを設営。夜半、設営時点では思いもしなかった強い雨が降ったので、結果的にはこの判断が幸いした。
 ただし夜は電灯が点かず、水道水も飲用不可である。更に蚊が多く、テントの中にまで入ってきて寝つかれず…。







 夕食後、展望台まで上ってみる。とてもハヤブサで走るような道ではなかったので、かなり後悔したが。展望台からは視界は狭いが西側の風景が見える。画面左手、遠くの光は方向からして新広島空港だと思われ…。あぁ、やっぱ夜景は一人で見るもんじゃないなぁ…。

 
 就寝 20:00
 本日の走行距離 178km (TOTAL 1102km)


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