中国地方ツーリング(その3)−石見銀山

2009年8月9日〜8月15日


 たまたま機会を得たので、以前より行きたかった島根県石見銀山と広島県呉市のてつのくじら館へ行ってみることにした。十数年ぶり(?)のキャンプツーリングである。だがしかし、この旅を総括するキーワード、それは『雨』だ!

【8月11日(火)】
 
 起床 05:15

 バイクの音で目が覚める。
 2台、うち1台は今時珍しい2スト。音が軽いので原チャか?もう1台は4ストシングル、やや大きい排気量か?
 「キャンプ中の中年男性、暴走族に刺されて死亡」とかいって新聞に載ったら嫌だな〜と思いながら起きる。実際のところ、キャンプで最も恐ろしいのは獣よりも人である。
 テントから出ると辺りは既に明るくなり始めてい、雨は上がっていて曇空。今日はこのまま晴れてくれるといいが。

 件のバイクはやはり原チャのスクーターとSR400。族仕様でもなかったのでまずは一安心。と、そこへ若者二人が展望台の方から下りてきた。軽く挨拶をして、さて、こちらも展望台へ登ってみますか。

 幕営地から1〜2分上ったところにある展望台からは三次市を一望することができる(写真は山頂から東を見ている)。件のバイクもこれを見にきたようだ。内陸部にある三次市は霧が多く、かなりの頻度でここから市街地を覆う霧の海が見えるらしい。故に「霧の海展望台」だそうだ。夜景も綺麗だろうし、やはり昨夜登らなかったのは失敗だったか? と思いながらテントへ戻る。でもまぁいいか、夜景なんてオッサン一人で見るものじゃなし。夜景を見る時は男女に限る、というのが我国古来のシキタリである(笑)

 雨が降っていないだけでも気分はウキウキ、そそくさと朝食を済ませて7時には出発する。今日は島根の世界遺産、石見銀山を見学してから広島市内へ向かう予定だ。

 三次からはR357で石見へ向かう。ダイソー版100円地図がフル稼働を始めた(笑)。


 オンコースしてすぐ、江の川沿いの左手に興味をそそる橋が現れる。











 どうやら車輌通行可、らしい。もっとも、道幅は軽自動車くらいしかないが。


 渡った先には三江線(広島県三次〜鳥取県江津)所木駅がある。橋は対岸からこの駅へ行くためのもののようだ。駅はごらんの通り無人、付近には小さい集落があるだけである。
 昨夜、キャンプ場に屋根がなければこのような所に泊る羽目になったのは必死である。トイレはあるが水が無いので自炊はつらい。列車(間違いなくディーゼル)は日に数本のようだ。

 この先しばらく三江線と平行して走ることになるが、いい味を出しているローカル線である。機会があれば全線乗ってみたいものだ。


 R357は広くなったり狭くなったりしながら江の川沿いにクネクネと大田市へ向かう。快走路だが意外と交通量が多く、狭隘路のブラインドコーナーから勢いよく対向車が現れたりして、何度か肝を冷やす。こっちがバイクだから避けてるけど、車同士ならぶつかってないか?

 途中、湯抱(ゆがかえ)温泉という秘湯の如き湯治場があった。鄙びた雰囲気がとても良かったのでチラっと入ろうかとも思ったが、時間が早く開いてはいない。残念、次の機会である。

 道中ずっと曇だったのだが、石見まであと数キロというところでついに雨が降り始めた。止むを得ず路肩に停まって大慌てでカッパを着るが、ついにカンシャク玉が炸裂(笑)、空に向かって恨み言を言う。かつてバイク通勤で毎日乗っていたこともあったが、それでも3日続けてカッパを着たなどという記憶は無い。一体全体、今年の天気は…。

 9時頃、石見銀山世界遺産センターへ到着。石見の集落内は諸車乗入禁止、ここへ駐車してバスで集落まで移動するのだ(後で分かったのだが、集落入口にも若干の駐車場があり、ましてバイクならそこまで行っても問題なかったようである)。

 バスは数分、大森バス停で降り、龍源寺間歩(まぶ、坑道のこと)まで歩く。往復2時間強とのことだが、足元はブーツなので覚束ない。ちなみに、この時点で雨はやんでいた。これからは徒歩だし、カッパも傘も持っていないので一安心である。集落入口にある案内書で地図をもらうが、道路地図と合わせて見ているとどうにも分かりにくい。石見銀山の公式案内図は何故か全て北が下(約束事は北が上)なのである。実は公式案内図を見ながらここへやってきたのだが、付近まで来て逆走してしまったのは内緒である。


 龍源寺間歩までは概ねこのような遊歩道が付いている。これはこれでまぁ良いのだろうが、町並みは味わえない。帰りは集落内を歩くことにしよう。










 
 清水谷精錬所跡。鉱山があれば精錬所はつきものである。
 が、ここでまたしても激しく雨が降ってきた。傘が無いのでジャケットを頭からかぶって凌ぐが、雨までつきものとは聞いていないぞ。









 精錬所跡なので馴染み(?)の土倉鉱山と風景は似ているが造りが違う。こちらはぐっと古く明治中期のものなので、石積が多用されている。夏草に埋もれた石積は古代遺跡を想わせる、まさに強兵共が夢の跡、である。尤も、石見銀山自体は戦国時代以前からのものなので、精錬所跡は遺跡全体から見ると末期のものではあるのだが。


 龍源寺間歩へ行く道すがら、こういった小さな坑道がいくつも口を開けている。その多くは山師個人持ち、「自分山」のものであったという。











 それでも何とか雨は上がり、龍源寺間歩へ到着。バス停からここまで小一時間である。この坑道へ入るために手前右手の番所で400円を支払う。これを見たくてやって来たので、ケチる訳にはいかない(笑) 






 

 
 坑道の中は肌寒い。そして、足元を照らす必要最小限の灯りしかないので暗い。右はフラッシュをたいて撮った写真である。また、写真では表現しきれていないが、進行方向に沿ってノミの跡が残っている。
 古い建物などへ入った時にはいつも思うのだが、天井が低い。所々で腰をかがめながら歩く。当時の身長はこんなものだったのだろうとぼんやり考えていたら、一ヶ所で頭をぶつけてしまった(苦笑)


 入口から160m地点で坑道は肩幅程度にまで狭くなり、ここから奥は落盤のため通行止めである。左手にある、脱出用(笑)に掘られた立派な通路を通って外に出る。
 約10分の地下の旅であった。










 石見の集落は南北に細長く、南端がさっきの龍源寺間歩、北端がこれから向かう代官所跡である。バスを降りた大森はその中間よりも代官所跡よりに位置する。

 途中の茶店で売っていた塩もみ胡瓜(冷え冷え)150円を購入、食す。普段は買い食いなどしないのだが、ここのところ食べているのは毎日レトルトご飯ばかりなので、体が青物を欲しがっていたのだろう、迷わず手がのびてしまった。
 塩味と胡瓜の苦味が美味しゅうございました。





 途中、民家の軒下にいた猫。何となく保護色である。













 集落はこの銀山川に沿っている。












 景観を守るためだろう、そう多くない自動販売機には木製のカバーが付けられていた。ちなみにここは観光客相手ではない商店である。


 これは、何の店だったか(苦笑)。
 ミシンを模した看板がかかっているのが面白い。












 大森區裁判所跡。本文ではしきりに「石見の集落」とか言っているが、正式な地名は大森である。
 戦後間もなくまで裁判所として機能していたようだが、今となってはなぜこんな山の中に、といった付近の風情である。鉱山で栄えた往時は人も多く、行政等の中心地区だったのであろう。








 裁判所のはすかいに小さな岩山(?)があり、その上に寺(観世音寺)が建つ。石城と呼ばれているらしいが正にその通り。風景としてとても面白かったのだが、写真の腕はイマイチだな(苦笑)










 大森代官所跡。今は石見銀山資料館となっている。













 大森代官所跡で石見の散策は一通り終わり、バスで最初の世界遺産センターへ戻る。
 世界遺産センターを改めて見回すと、ちょっと面白そうな建物。何のことは無い唯の休憩所だが、いい味を出している。

 売店のざるそばで昼食、で、思い出した。いや、そばとは関係無いのだが、代官所跡のすぐそばに(ダジャレじゃないよ)古い隧道があったのを思い出した(地図で見ていた)。あそこを通ってみなきゃ。





 代官所跡までバスで数分、ハヤブサでも数分である。最初からハヤブサで来れば良かったかな?

 目的の隧道は代官所のすぐ西、大森隧道である。この位置から奥は落石の恐れがあるため車輌通行止め。徒歩で通って来ました。

 








 広さはそこそこあるが、中は素彫りにコンクリート吹き付けである。銘板が無いので 詳しいことはよくわからない。が、間歩と隧道、二つを堪能できたので満足(なぜ穴に惹かれるのかは謎である)。


 この後は余り地図を見ず、「広島⇒」という標識を頼りに走ったので、どの道を通ったのかは良くわからない。今地図を見返すと、石見から県道沿いに川本町因原まで出て、そこからR261を南下したものと思う。ハヤブサにとっては非常に気持ちのいい道であった。雨も降っていないことだしw

 広島市内に入ると「可部⇒」という標識が現れた。それに従ってR261から分かれ、R191へと入って行く。今宵の棲処は可部の柳瀬キャンプ場だ。

 食料(レトルトご飯)が乏しくなってきたので、スーパーで調達することにしたが、パパッとライス(委細は(その1)参照)が売っていない。どうやらレアものらしい(笑)。2、3軒回ってようやく発見、購入。

 おかげで予定よりもやや遅れ、柳瀬キャンプ場に到着。


 キャンプ場は道から下った所、河原との間の河岸段丘(と思う)にあった。

 キャンプ場に屋根のある建物は無かったので、好きなところにテントを張る。先に言ってしまうが、今回のツーリングで屋根の無いキャンプ場はここだけ、そして雨が降らなかったのもこの夜だけである。
 下は硬く締まった砂地なのでペグ(テントを固定するための杭)を使う。今回、ペグ打ちのために導入した100均ハンマーがようやく活躍してくれた。但し、結局この日だけだったが…
(写真をクリックするとハンマーが出ます)



 改めてマシンのテール回りを見てみるとドロドロである。ストップランプの中心部だけは泥を落としてあるが。基本的に、フェンダーレスは雨中を走るものではないようだ。当たり前か(笑)









 せっかく広島まで来たので、夜は街へ繰り出すことにする。だがその前に、風呂だ。この真夏にもう2晩入っていない、いくら何でもちょっとなぁ。こうなることを見越して、汚れが目立たないように濃い色のものを身に付けていたのだが、塩を吹いて白くなっていやがる。目論みが外れた(笑)

 最小限の荷物と着替えを持って、キャンプ場近くの銭湯へ。場所は予め調査済みである。ただ、備え付けの石鹸類が無く、売店で小さいヤツを買わなくてはいけなかったのは誤算であった。

 体を洗い、ヒゲも剃り、頭も洗って非常にさっぱり。そのまま意気揚揚とR54を南下、小一時間かけて広島市街へ向かう。(ちなみに帰り(夜中)も当然R54を通ったのだが、道幅が広く真っ直ぐなので車が減ると非常に流れが速い。ぬわわkm/hでは置いていかれる程である)


 目的地は原爆ドームだったが、ここで迷う。
 有名な場所なので道案内の標識があるものと思い頼りにしていたのだが、無い。今思い返すと、広島城への標識も、広島球場への標識も無かったような気がする。憶えているのはしつこいくらいの「広島駅⇒」である。なぜだ?

 道行く車を2度3度と捕まえては行き方を聞く。何とかかんとか着いたら既に19時を回っていた。

 かくしてうふふな広島の夜が始まったのであるw




 就寝 25:00
 本日の走行距離 254km (TOTAL 924km)


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