檜原村(その2)−湯久保


2011年11月27日
 

 東京のチベット、奥多摩。本気でそう思っていた、檜原村を知るまでは。

【地図:檜原村湯久保

  湯久保の集落へ行くには地図の右下、夏地にある御前山登山口でバスを降りて目の前の橋を渡り、そのまま舗装された道沿いに登っていく。そういえば前の湯久保(小沢)で書き忘れたが、檜原村の探索にバス(武蔵五日市駅が始発)を使うのは現実的ではない。余りにも不便すぎるからだ。それでもまだこの辺りなら何とか使えるが、これより奥へは車の利用をお勧めする(実際にレンタカーを借りて探索した)。



 30分ほど歩いて、地図の@の分岐に到着。
 壁に新聞受けがあった。分岐を左へ行った奥の家のために、道路凍結時のみ使用するようだ。










 その隣に掛かっていた木製の案内板。
 地図でも分かる通り、久保の集落は@の分岐を起点に東西二つの尾根に分かれている。両方とも行ってみた(*)のだが、東の尾根の方は最後まで(急ではあったが)車の通れる舗装路が続き、道の両側に普通に家が点在してただけなので特に惹かれるものは無かった。
 従って、本稿で紹介するのは地図上で赤で囲った西の尾根の集落の方である。

*:東の尾根の集落へ行った後は、御前山の裾をかすめて奥多摩へ抜けた




 地図上のAの位置までは狭いながらも車が通れる舗装路が付いている。舗装路の終点には家が1軒あり、そこから「V」字にターンした道を登っていく(左写真。道が見えるでしょ?)













 途中にあった家。斜面にへばりつくように建っているので、引いた写真が撮れない。ちなみにこの家は住人がいた。













 これは上の家よりももう少し奥にあった家。山の斜面のわずかな平場を利用して建てているのが分かるだろうか。これはこの家だけの話ではなく、全てがそうなのだ。













 この家は廃屋だったので少し中をのぞいて見た。
 冷蔵庫が2台(手前と奥)、それにシンク。どうやってここまで運んだのか。













 上写真の家が最奥かと思ったが、更に上へ続く道(獣道)を発見。行ってみることにする。















 !見えてきた!















 これが湯久保集落の最奥の家。きれいにしてあるので最近まで住んでいたのか、それとも時々通っているのか。麓のバス停からここまで1時間。













 庭から見える風景。
 電柱が写っているが、ここまでしっかりと電気は来ている。














 この後分岐まで戻り、湯久保の東側尾根の集落を通り、山越え(御前山のわきをかすめる)で奥多摩へ抜けたのだが、その途中で見た富士山。












←檜原村(その1)−湯久保(小沢)】 【檜原村(その3)−尾根通→

余話2012へ