檜原村(その1)−湯久保(小沢)


2012年2月12日
 

 東京のチベット、奥多摩。本気でそう思っていた、檜原村を知るまでは。

【地図:檜原村湯久保(小沢)


 左写真は、地図の@の位置から矢印方向を見たものある。写真をクリックすると、赤丸の辺りの拡大写真が見られるが、中央やや左に青い三角形の屋根が写っているのが分かると思う。また、拡大写真の両端には、電柱も写っている。

 これが湯久保(小沢)の集落であり、私が檜原村を徘徊するようになったきっかけである。
 今後、檜原村の各集落を紹介していくのだが、多くの場合、その立地は似たり寄ったりである。
 しかしこのような山の斜面に、家があるなんて想像できますか?
 なお、今回紹介している集落の名称だが、実は定かではない。「小沢」としている資料もあるのだが、地図を見ると小沢は北秋川を挟んで対岸、東側の集落の名称のように見える。また、湯久保はこの集落から南の尾根に点在している集落なので、ここでは仮に「湯久保(小沢)」とした。




 宮ヶ谷戸にある北桧原小学校跡の北側から、御前山登山口の案内標識に従って登って行く。この後、何ヶ所か(地図に無い)分岐が出てくるが、いずれも同じである。写真の位置、小学校跡の裏まで」はコンクリートの簡易舗装だが、この先すぐに未舗装の登山道となる。

 実は、湯久保へ行こうとしたのはこの日(2/12)が初めてではない。最初の挑戦は前年の11/27、冒頭の写真を撮ったのもその時である。この日は、地図上の「湯久保」の文字の上にあるY字の分岐を東へ入ったのだが、登山道が獣道になって、最後は崩落のため到達を断念した。
 二度目は、年が明けて1/29。この時は時間切れで断念した。




 ちなみにこれが1/29の写真。前の週に降った雪が残っている。














 途中にあった伊勢清峯神社。地図では道の北側に神社記号が出てくるが、「御前山→」という標識に従って登っていくと、神社は道の南側に出てくる。しかも少し離れていて分かりにくいので、見落とす可能性は大きい。
 鳥居の横に石碑があり、そこには大正十四年九月一日建立と刻まれていたが、それが石碑のことなのか、神社のことなのかは分からない。








 ずんずん登っていく。道があるようなないような・・・















 登り始めて約1時間、藪の向こうに何か見えてきた。

 地図上のAの位置にある家屋だろう。













 さて、道はさらに続く。毎度のことだが、登山道っぽい道の脇に電柱が立っているのは非常に違和感。


















 5分ほど歩くと家が3、4軒固まっていた。ここが地図上で斜線になっているところだろう。













 少し離れたところにもう1軒。青いビニールシートを被っているので、これが最初の写真で谷越しに見えていた青い屋根の家だろう。












 上の家にはビーグル犬(?)がいた(写真中央やや右下)。狂ったように吠えるうえ、すぐに破れそうな緑色の網で囲った中で放し飼い。近づくと網を食い破るか乗り越えて出てきそうで怖い。もしそうなっても飼い主は責任取らないだろうし、でも、いくら防犯とはいえこれはないよなぁ。

 というわけで、更に奥へいくことはせずここで撤収。地図のBの家へ行くことは適わなかった。








 オマケ(その1)。最後の家の庭に何か黄色いものがあるな〜、と思って見ていたら、ホンダのモトラというバイクだった。どうやってここに持ってきたんだろう?やっぱり走って来たんだろうな、てゆーか、持ってきても意味ないんじゃ?











 オマケ(その2)。集落(?)から見た風景。












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