軍艦三笠 


2009年10月11日
 

 せっかく三浦半島まで来たのだから、横須賀、そして軍艦三笠は外せない。軍国中年としては見学必須なのであるw しかも3度目だ(爆)

 武山ハイキングは午前中に終了。だが、せっかく三浦半島まで来てそのまま帰る手は無い。三浦半島と言えば横須賀、横須賀といえば海軍、海軍となれば当然軍艦三笠を見学しなければならないのである。

 とはいえ、三笠を知らない読者もいると思うのでざっと解説しておく。
 日露戦争(明治37年〜38年)時。ロシアの誇るバルチック艦隊と大日本帝国海軍連合艦隊は対馬沖で雌雄を決すべく会い見えた。この日本海海戦で、日本海軍は歴史的な大勝利を遂げたのだが、その時の旗艦(連合艦隊司令長官が座乗している)がこの戰艦三笠なのである。今では横須賀で保存、展示されているのだ。


 横須賀駅を降りて海岸の方へ歩いていくと三笠公園がある。
 三笠のある区画は公園として整備されているのだ。














そしていきなりだが見よこの艨艟。手前の銅像は時の連合艦隊司令長官、元帥海軍大将東郷平八郎。


乗艦前に、舐めるように艦体を撮影。写真の大きさで私のはしゃぎっぷりを分かって欲しい(笑)

艦尾から。三笠は海に浮かんでいるのではなく、艦体回りはコンクリートで固められている。
艦尾に翩翻と翻る軍艦旗。この時代、帆船時代の名残で艦長(或いは司令長官)公室は艦尾にある。
また、艦名「みかさ」は右書きである。決して「さかみ」ではない(笑)。



舷側より並びたる副砲。



艦首には海軍軍艦の証、十六菊(天皇家の紋章)。




 ようやく乗艦。舷側に副砲が上下二段に搭載されているのがわかる。下側の大きいものが15cm砲、上段奥が8cm砲である。
そして艦内案内図(↓)。
















 まずは15cm副砲の様子から。
 15サンチ(この方が気分が出るw)副砲は上甲板に4門、中甲板に10門、計14門が装備されている。砲員は1門あたり10名(左写真には4名しかいないが)。写真左の黒い服が士官、白い服は兵(水兵)である。









 この砲郭は彼らの闘いの場であるとともに生活の場でもある。夜は右写真の如くハンモックを吊って眠るのだ。ちなみに海軍では、このようにハンモックでの就寝が通常であり、寝室にベッドというのは高級士官のみに許されている。



 こちらは8サンチ副砲。20門搭載されていて、砲員は各々4名。ちなみにこの写真の位置は上甲板であり、下写真のように砲が並んでいる。















 で、上甲板の様子がこれ。この両側に上写真の如く8サンチ副砲が装備されているのである。











 艦首に回り、前部主砲砲塔と艦橋を望む。マストにはZ旗が翻っている。Z旗については(↓)























 主砲砲塔のアップ。主砲は30サンチ連装2基4門。















 艦内へ入る。これは長官浴室。奥右がバスタブ、左が便器(洋式)である。付け加えておくと、海軍では全て洋式である。下は長官寝室。
















 長官公室。参謀、各艦艦長等との会議などに使われる。この頃までは帆船時代の名残でこれら設備は艦尾にある。
 下は長官公室に飾られていた日本海海戦時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎の肖像。
















 これは艦橋を後ろから見ている。上から露天艦橋、航海艦橋、戦闘艦橋。露天艦橋には羅針盤があり、通常は見張り員が詰める。その下の航海艦橋は操舵輪他、操艦に必要な機器類がある。一番下の戦闘艦橋は、文字通り戦闘中に使用される艦橋で、分厚い装甲で囲まれ、スリット状ののぞき窓があるだけだ。
 では、露天艦橋から順に見ていこう。







 

 露天艦橋から艦首方向を望む。直下に30サンチ主砲が見えている。














 そして露天艦橋の甲板には、ご覧の通り金属製の八角形のプレートが(写真奥が前方。下の図とは前後が逆になっていることに注意)。












 このプレートは海戦当時の露天艦橋上での立ち位置を示している(右図参照)。最前方が連合艦隊司令長官東郷平八郎(右図の中央)。その左が「智謀湧くが如し」と言われた連合艦隊参謀秋山真之中佐(年末にNHKの「坂の上の雲」を見ましたか?)、東郷長官の右隣は連合艦隊参謀長加藤友三郎少将、その右が三笠艦長伊地知彦次郎大佐である。

 戦闘中は戦闘艦橋に入るのが常であるが、日本海海戦当時、東郷長官以下は弾雨の中、露天艦橋に立つことにより士気を鼓舞した。海戦終了後、至近弾の水しぶきで濡れた甲板で、東郷長官の靴の位置だけが乾いていたと言う。


 戦闘艦橋を前方より見る。スリットの所で、装甲の厚さがわかると思う。本来戦闘中は、司令、艦長以下の首脳はここに詰めるのだ。それは卑怯でも命が惜しい訳でもなく、それら要員の戦死は艦全体の、そして艦隊全体の死を意味するのだ。









 右が戦闘艦橋内部。しかし狭い。とてもじゃないが先の図にいた人数が入れるとは思えない。ちなみに外部はスリットを通して見ることになるのだが、視界が非常に制限されていることがわかるだろう。



 右舷の中央辺り、上甲板にある乗艦口。ロシアのバルチック艦隊を率いていたネボガトフ少将は海戦翌朝、ついに我が艦隊に包囲された後、ここから乗艦、降伏を申し出たのである。歴史的な扉だ。










 余談だが、戰艦にはほとんどの場合、後方にも艦橋がある。勿論、前部のものよりも小ぶりであることが多いのだが、三笠の場合も戦闘艦橋が後部にもある(写真の二階建ての1階部分)。前方の艦橋が被弾損傷し、使えなくなった場合に備えているのだ。










そして最後は後甲板に回る。後部の第二主砲砲塔が勇ましい。



マスト上にはあの日の如くZ旗が翻る。




何て言うんだろ、久々に燃えた一日だった。



しかし、


横須賀はそれだけでは終わらない。


じゃ〜ん!


横須賀名物、本格麦焼酎東郷
(よこすか海軍カレーと黒船シチューもいい味出してるw)


でもね、東郷平八郎は鹿児島出身だから、どちらかといえば芋焼酎じゃないのかな?

ついでに。帝政ロシアに苦しめられていたフィンランドでは、日本海海戦の日本の勝利を記念してアドミラル(提督)と言う名のビールを造った。缶のパッケージは勿論東郷平八郎の肖像。ちなみにオイラも飲んだことがある。味?もちろん勝利の味だw



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