餘部鉄橋訪問記(その1)−餘部鉄橋編
2008年10月12日
隼駅行で長距離に味をしめ、またもや行ってしまった。兵庫県の日本海側、鳥取県境に程近い所にある餘部(あまるべ)鉄橋である。明治初期に造られた地上40mのこの鉄橋は、間もなく解体される運命にある。 |
餘部鉄橋。
地上40m、集落の真上を通過するその威容が観光名所として有名な、鳥取県境に程近い兵庫県香美町にある山陰本線の鉄橋である。
実は、昭和61年春の山陰ツーリングでこの鉄橋下を通過しているはずなのであるが、全く記憶に無い。
私の脳裏に餘部の名が刻まれたのはその年の冬、日本海からの強風による列車転落事故があってからである。
今年6月、鳥取の隼駅へ日帰りで行ったのであるが、地図で見ると餘部鉄橋はその手前。ならばこれまた日帰り可能であり、であれば行くしか無いのである。
出発は5時半。10月中旬とは云え外気温は10℃を割り込んであり、結構寒い。幸い天気予報は全行程において晴なので、昼間の気温の上昇に期待しての出発となった。
ルートは、舞鶴までは隼駅行と同一、そこから先はR178、R312を走って丹後半島の根本を横断、再びR178に合流して西へと進むだけである。
11時半、餘部鉄橋へ到着。
やや遠いが、「さようなら餘部鉄橋」の看板の見えている赤いのが鉄橋である。
これは鉄橋通過中の列車である。
速度制限があるのか(あるのだろう)、徐行としか思えない速度である。
列車は本当に民家の真上を走っている。あまり云いたくは無いが、昔の列車の手洗いはタンク式では無かったはずだが…。
見上げると空ばかり、である。
鉄橋を眺めるだけではつまらないので列車に乗ってみることにした、というとさも思いつきのように取れるが、時刻表は調査済みである。山陰「本」線とは云え、この辺りはローカル線。列車は1時間に1本が基本なので、外すとエライ事になる。
餘部駅は山の中腹にあり、この写真の鉄橋が山肌にとりついた辺りにある。そして、写真中央の九十九折れの道が駅へのメインストリートである。
そしてこれは登山道、ではない。餘部駅へ向かう道である。
やや息を切らし気味で到達した餘部駅は、結構な人込みであった。山手線程ではないが、ラッシュアワーの岐阜駅以上の人である。
鉄っちゃんとカップル(男は間違いなく鉄っちゃんと思われる)に混じって、革ジャン、ブーツのいでたちではさぞや目立っていたであろうが、気にしない。
餘部駅からは一駅だけ、東隣の鎧(よろい)駅まで乗って折り返すことにしました。
これは鉄橋通過通に撮った餘部湾の風景。
これは鉄橋の真下を見下ろしたところである。本当に家の真上を走っている。
この後、鎧駅で15分ほど列車を待ち、餘部駅へ戻った。
結局、餘部を離れたのは13時半である。
(餘部鉄橋について詳しくはここ)
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