一式双発高等練習機


2013年3月17日
 

 3月とはいえ北国三沢の春はまだまだ遠い。とはいえ今行かないとなくなっちゃう、ということで三沢航空科学館まで一式双発高等練習機を見に行ってきた。

 2012年9月5日、十和田湖から旧陸軍の一式双発高等練習機が引き上げられた。本機は昭和18年に墜落し、そのまま69年間、湖底に沈んでいたものだ。
 本機の詳しい解説はこちらに譲るとして、簡単に言うと、昭和16年に制式採用された、操縦士以外の空中勤務者(陸軍ではこう云う。機上整備員、航法士、通信員など)を養成するための機体だ。国内唯一の実機といっているが、おそらく全世界でもこの1機だけだろうと思う。

 さてその一式双発高練、2013年3月末まで三沢航空科学館(青森)にて一般公開、その後はレストアのため非公開となるそうだ。レストアなんぞいつ終わるやも知れず、それならば是非、その前に見ておくに如くはない。幸いこの頃なら、三沢行きの出張なんていくらででも都合がつくのである。



 三沢行きなんていくらでも都合がつく、と言ってみたものの、さすがに遠い。岐阜から日帰り(一応、できる。往復で12時間くらい電車に乗っている必要があるが…)では現地滞在3〜4時間しかとれないので、それでは仕事だけでとんぼ帰りである。しかも三沢駅から航空科学館までは遠く、平日は公共交通機関も走っていない。なので、出張は土日にかかるよう、かつ自腹で1泊する必要がある。
 とはいえそこはまぁ上手くやって、月曜日帰りの出張をつくった。なので科学館へ行くために日曜朝出発、自腹で1泊である。
 左写真はこの頃走り出したE6系スーパーこまち、川崎重工製。ものめずらしさから辺りは黒山の人だかり。





 自分が乗るのは、その後ろに連結されたE5系、はやぶさ。これまたちょっと前にデビューした車両である。じつはE5系、これで2回目なので、連結されているE6系に乗りたかったのだが、そっちは盛岡(だっけ?)で切り離されて新潟へ行ってしまうのだ。











 三沢駅の改札をでると、航空科学館のポスター。
 
 航空科学館への公共交通機関は、土日祝日(及び学校の長期休暇)のみ走る「ぐるっとバス(無料)しかない。しかも三沢駅発着で科学館へ行くのは、午前1本、午後2本だけである。しかしそれでも、平日に大枚数千円を支払ってタクシーで行くよりはずいぶんとマシなのだが。













いきなりだがご対面。
科学館には以前も来たことがあるのでその他の展示物見学はパス。なにせここでの持ち時間は55分しかない。
そのバスを逃すと、タクシーに大枚をつっこむしかなくなり、そうなると号泣である。

きれいに不時着水したらしく、機体の破損はそれほどでもない。外板にあいている穴は腐食である。
こまかしい解説はこちらを参照。なお、設計製造は立川飛行機。
(立川飛行機は現存する会社だが、今は飛行機は造っていない)




正面から。座席が手前に出されている。
向かって左が正操縦士、右が副操縦士で、現代とは逆である。




座席のアップ。お尻の下に座布団型の落下傘を敷いて座るので、クッションは無い。




左主翼燃料タンクに付いてた銘板。昭和17年3月15日と読める。




左主翼。手前が翼根、画面左が後縁、画面右が前縁である。前縁から無造作に出ているパイプのトラスは、エンジン架。前縁の敵見方識別帯である黄橙色が残っている。
燃料タンクはインテグラルではなく、文字通り主翼中にタンクがある。もっとも、これは戦争中の日本機としては標準だが。




日の丸、部隊マークが良好に残っている。
動翼(方向舵、昇降舵、補助翼)は羽布張りのため残っていない。

とまぁ、機体の周りを2周くらいしてためすすがめつじっくりと見た。
あとはレストアが済んだらもう一度来よう。



最後に、オマケ。





さて、こちらは同時展示のレプリカ零戦21型である。もちろん飛ばない。
昨年封切られた映画、山本五十六に使ったものだ。

胴体尾端の形がちょっと違う気がするところと、アンテナ支柱が胴体と同じ色であるところ(木製無塗装のはず)、はご愛嬌。あとはよくできてると思います。




さて、三沢に来たらUP−3A。P−3Aを改造したVIP輸送機だ。
機内は以前紹介したので今回は触れない。





岐阜の空からP−3がいなくなってしまったので、ヨークを握るのはこれが最後かもしれない。
ちょっとだけ泪目。





最後に。
昔は、ビジネスホテルの机の引き出しといえば必ず聖書が入っていたもんだが、今は見たことが無い。
だがしかし、だからといって古事記が入っているのは初めて見た。




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