UP−3A T 概説 《P−3性能諸元》
LOCKHEED AIRCRAFT MANUFACTURER'S MILITARY MANUFACTURER'S MILITARY CONTRACTOR'S
NO (不明文字あり) ENGINE TYPE ACCEPTED
2009年7月26日
三沢航空科学館の展示機のうち、わざわざUP−3Aだけを取り出したのは、それだけここで詳しく解説するつもりだからである。米海軍のこの機体はマイナーであり、展示機として公開されているのは世界でもここだけだと思う。大型機、プロペラ機好きの私にとってはとても魅力的なのだ。なので、今回の駄文は長く、かつオタクだ(笑) (分からないところも多いと思うので、気になる人は遠慮なくメール下さい)
まず、P−3という機体についてざっと解説しておく。
1950年代に米国ロッキード社が開発したターボプロップ4発の旅客機、L−188エレクトラをベースとして米海軍が開発した対潜哨戒機(潜水艦を探し、撃沈するのが任務)、それがP−3オライオンである。当初の名称はP3V−1だが、間もなく呼称方法が変更となり、それに伴ってP−3Aとなった。
P−3Aは装備品等の改良・近代化によりB型、C型と発展し、昭和57年からは海上自衛隊がP−3Cを導入した(川崎重工でライセンス生産)。
三沢に展示されているのはP−3Aとして製造された機体を輸送機(主としてVIP輸送)へ改造したものであり、UP−3A(U;Utility、雑用機を現す接頭記号)と称されているものである。大雑把には、P−3Aに搭載されていた対潜水艦用の装備品を取り下ろし、旅客用の座席やその他必要な改造を施したものである。あやふやな記憶だが、UP−3Aへは20機程度が改造されていたと思う。下表に代表的な性能諸元を示しておくが、一言でいうと「YS−11と同じくらいの大きさだが、2倍の馬力のエンジンが4発ついていて(合計8倍)、日本からハワイまでなら何とか無給油で飛んで行ける航続距離を持つ」だろうか。
全幅
99FT 8IN
全長
116FT 10IN
エンジン
T−56 4600shp(MIL POWER)
最大離陸重量
135000 LBS
最大速度(TYP)
410KTAS/15000FT
巡航速度(TYP)
330KTAS/25000FT
行動半径(TYP)
2000NM
さて、UP−3Aである。
今回の主目的は「UP−3Aとするためにどこをどう改造したかを明確にする」であったのだが、結論から先に云うとよくわからなかった。
海上自衛隊のP−3Cならかねてよりの馴染み(何のこっちゃ)なので、それとの比較で改造ヶ所を明確にしようと思っていたのだが、残念ながら本機はP−3Aからの改造である。つまり、元々のP−3Aの詳細を知らないので、P−3Cとの相違点といっても、それが「P−3AとCの相違点(即ち改造していないところ)」なのか「P−3AとUP−3Aの相違点(改造点)」なのか分からないのである。
従って、以下、特に断りの無い限りはその二つが分離できていない状態で、(海自の)P−3Cとの相違点を紹介しているに過ぎないことを理解していて欲しい。
<写真T−1>
まず、銘板の解説から。
銘板はコパイロット(副操縦士)後方にあるサーキット・ブレーカ・パネルの上部に貼られている、縦20cm程度の金属板である。一番上は製造メーカであるロッキード社のマークが入っており、その下には書かれている内容は下表の通りである。
CORPORATION
BURBANK,
CALIF
MODEL
185
MODEL
P3A
SERIAL
NO
5052
SERIAL NO
150526
NO 62−0019
T56−A−10W
9−17−63
ロッキード社(当時。現在はロッキード・マーチン社)はカリフォルニア州とジョージア州に拠点を持つが、P−3の製造はカリフォルニア州バーバンクで行われた。本機のロッキード社での社内モデル番号は185、米海軍でのモデル番号はP3Aである。後程また解説するつもりだが、米海軍は機外にもモデル番号を記入(塗装)する。そしてそこにはUP−3Aとあるので、本機がP−3AからUP−3Aへと改造されたことがわかる。銘板は戸籍と同じであり、製造時の記載事項は変更しないのだ。
マニュファクチャラーズ・シリアルNoは5052とあるから、おそらく52機目の製造機であると推定される。米海軍のシリアルNoは150526であり、4機分の差があるが理由はよくわからない。その下のコントラクターズNo
62−0019は、1962年度に製造(もしくは発注)された19番目の機体を表していると思う。エンジンタイプはT56−A−10W。56番目に制式採用されたターボプロップ(T)エンジン、アリソン社(A)製で、10Wという型である。ちなみに、海上自衛隊の機体は、同じT56でも石川島播磨重工業(現IHI)が製造しているので、T56−IHI−10という名称になっている。最後のACCEPTEDは、米海軍の領収日が1963年9月17日であることを表している。
そして、本機の来歴であるが、機内に次のような解説があった。
この飛行機は、米海軍の第1艦隊偵察航空隊(VQ−1)三沢派遣隊に所属していたVIP(要人)用輸送機で、2002年まで約26年間使用されました |
三沢には、対潜哨戒機であるP−3ではなく、それをベースとして改造した電子戦機EP−3が配備されていたのだが、その部隊がVQ−1で、そこに配属されていたようだ。ちなみにEP−3は神奈川県の厚木にも配備されていた。また、数年前にはフィリピンから飛び立った同型機が中国空軍の戦闘機と空中衝突し、海南島へ不時着、搭乗員が一時拘束されたことは記憶に新しい。
注1:以下、単に「P−3」といった場合は、米海軍、海上自衛隊の区別無くP−3シリーズ全体を指す(派生型は除く)
注2:以下、単に「P−3C」といった場合は、海上自衛隊仕様のP−3Cを指す
U 機外
<写真U−1>
まずは機首。P−3は機首及び後部にAPS−115という捜索レーダを搭載している(一部の機体はISAR搭載)。機首側で前方180°を、後部で後方180°をカバーしてディスプレイ上で合成して全周360°を表示しているのだが、UP−3Aには捜索レーダ、もしくは気象レーダは搭載していなかったようだ。機内にそれらしきディスプレイが見あたらなかった。
また、ノーズレドームの製造方法もP−3Cとは違うようだ。先端だけが別部品となっている(分割ラインが分かると思う)。素材の特性上、一体成形ができなかったのだと思う。
<写真U−2>
フライトステーション(コックピットのことを米海軍ではこう云う)上部に白いブレードアンテナがある。P−3Cでは黒いアンテナが立っているが、白は馴染みが無い。大きさからしてUHFのような気がするが…。
ちなみに、パイロット横のハッチは取り外されている。この日は蒸し暑かったのでそのための処置だが、おかげでハッチ写真を撮り損ねてしまった。P−3Cではハッチに丸窓が付いているのだが、UP−3Aではどうなのだろう。
<写真U−3>
胴体上部、HF−1取付部の後方にはSATCOM(衛星通信)用のアンテナがある。
<写真U−4>
P−3は左舷後方に出入口があり、写真の左に見えている赤いものが機内へ出入するために取り付けられた階段である。
階段から伸びている黒いホースは恐らく空調用であり、本来はキャビン内の圧力を逃がすために空いているアウトフローバルブの穴から逆に入れている。その右にあるふくらみはドップラーアンテナの収納部。
P−3Cでは、ドップラーアンテナ前方にSLT(Sonobuoy
Luncher
Tube)と云って、ソノブイ(*)を収納する直径20cmほどの穴が50個余り並んでいるのであるが、UP−3Aには無い。
また、後方(写真右手)に見える突起は、本来はSRSアンテナといって、ソノブイから送られてくるデータを受信するためのアンテナである。UP−3Aではその必要は無いので、他の周波数で使っているのであろう。なお、写真に写っているのは1本だけだが、実際は左右一対でアンテナがある。
ドップラーとSRSの間に見えている黒い四角は電波高度計のアンテナである。このアンテナも一対であり、SRSの後方にもう一つが付いている。
*:一般的には、直径20cm、長さ1.5m程度の筒状である。P−3から海中へ投下され、筒中に装備されたマイクで水中の音を拾い(**)、そのデータを無線でP−3へ送信する。潜水艦を捜索するための装備であり、輸送機であるUP−3Aには必要ない。
**:潜水艦を広域探知する手段は、当時も現在も聴音以外には無い
<写真U−5>
SRSアンテナの更に後方。
黒い箱状のものは何だろう?OMEGAアンテナか。
その後方のブレードアンテナも種類不明である。P−3Cには無い。
そういえば、P−3Cにあるストライクカメラ用の窓も無いな。
<写真U−6>
水平尾翼の下、写真中央に小さな突起があるのがわかるだろうか?これもP−3Cには無いものであり、とても気になる。MWS(Missile
Warning
System、ミサイル警戒装置)のセンサの取り付け部っぽいのだが。
ちなみに、同じ突起は右舷側にもあった。
<写真U−7>
機尾を左舷から右舷へ回って見ている。
P−3では、この部分はMAD(Magnetic
Detector、磁気探知装置、(*))ブームといって3mほどの長さの筒がついているのだが、対潜装備であり、輸送機であるUP−3Aでは必要が無いので取り外してキャップをつけている。同じ米海軍でもEP−3は何故か切り落とした形になっている。また、海自でもEP−3、UP−3D、OP−3Cは同じくMADブームを取り外しているが、キャップの形はもっと格好良いものが付けられている。
*:潜水艦は鋼鉄製であり、これが海中に存在すると地磁気が乱れる。その乱れを検知(乱れた所に潜水艦がいる)するのがMADであるが、敏感な装置であるため、機体の磁気を拾わないようにブーム等で離して装備のである。ただし、探知距離が非常に短いので対潜戦でこれを使うのは最終局面の位置極限で、逆にいうと、潜水艦がMADに掴まった場合は万事休すである。
<写真U−8>
垂直尾翼。
P−3Cでは垂直尾翼の根元前方、右舷側にクラッシュ・ロケーターという50cm×50cm大の装置(*)が装備されているのだが、UP−3Aには無い。P−3Aも無いのだろうか。
*:墜落時の衝撃で機体から放出され、救難信号を発信する装置である。
<写真U−9>
右舷側、水平尾翼の下。
機種記号であるUP−3Aと、その下に米海軍シリアルNoである150526が記入されている。
米海軍ではこの位置に機種記号とNoを記入するのが通例であり、<写真T−1>の銘板がP−3Aとなっていることから、本機がUP−3Aとして製造された機体ではなく、P−3Aとして製造され、UP−3Aへと改造された機体であることがわかる。
(但し、ここへ記入する機種記号が間違っている場合もままあるようである。さすが米国)
なお、左舷側にもあったMWS取り付け部(?)は右舷側にも付いている。
<写真U−10>
写真中央に黄色いカギカッコで囲まれたエリアがあるが、ここはCUT HEREと云って緊急時に手斧で切って脱出口を作るところである(機内にARK、手斧が装備されている)。P−3Cでは写真にある丸窓(バブルウィンドウという)の前方に二つCUT
HEREが並んでいるのだが。
(余談だが、手斧で切るからといって、特に切り易い構造にしている訳ではない。切るスペースがある、というだけの話である)
CUT
HEREの後方下に黒い四角があるが、これはのぞき窓である。何の目的で付いているのかは不明だが、これもP−3Cには無い。
同じく前方にも横に細長いプレート状のパッチが見えているが、これまたP−3Cには無い。何かのメクラブタだと思うのだが。
P−3Cでは、UP−3AでいうところのCUT HEREの前方に二つ、小さな丸窓(ダイネットの窓)があるのだが、本機には無い。パッチをあてて塞いだようにも見えないので、P−3Aでは最初からそうなっていたのかもしれないが…。
<写真U−11>
右舷側バブルウィンドウの下には、静圧孔(*)が縦に二つ並んでいる(写真中央の赤丸で囲まれた部分)。
航空機における高度とは、気圧である。高度が高くなるにつれて気圧が低くなるのはご存知の通りだが、海面上の気圧を高度0
FT(フィート。1
FT=0.3048m。航空機の高度はmではなくFTを用いる)とし、定められた数式によって気圧の低下分を高度へ換算するのである。
この静圧孔は配管によって高度計とつながってる。即ち、機体のここの部分から検知した大気圧が高度として示されるのである。縦に二つあるのは、上がパイロット、下がコパイロット(兼NAV
RADIO(航法無線士))用であろう。
P−3Cの場合、この後方に更に2つの静圧孔があるが、UP−3Aには無い。
<写真U−12>
実は、静圧孔は左舷側にもあり、左がその写真である(写真左が前方)。
左舷には3つの孔があるが、前方の二つは右舷側と同じ用途であろう。そして後方の一つは、オートパイロット(自動操縦)のコントロール用に使われているのではないだろうか。
パイロット、コパイロット用の静圧孔が両舷に開口しているのは、横滑りして左右の大気圧に差が発生した時にも平均値(即ち正しい値)を示すようにしているためと思われる。左右の配管は機内床下でT字になって合流しているのだと思う。
そして、オートパイロット用は片舷にしか開口していないが、自動操縦で横滑りをさせることは考えられないので、これで十分なのであろう。また、それが左舷側のみの開口ということは、プロペラ後流を考慮すると非常に正しい。
<写真U−13>
もう一つのCUT
HERE。右主翼、オーバーウイングハッチ後方の黄色いカギカッコで囲まれた部分である。
<写真U−14>
オーバーウイングハッチと右舷前方のバブルウィンドウの間に、P−3Cでは丸窓があるのだが、UP−3Aには無い。後から塞いだ様子も無いので、窓は最初から無かったのであろう。
蛇足だが、プロペラ先端の塗り分けはP−3Cとは異なっている。
(P−3Cは外側から白赤白の帯、UP−3Aは赤白青の帯となっている)
<写真U−15>
右舷主翼の前方、ボンベイ(爆弾倉)上にある前方右舷静圧孔。ここの静圧は機内の与圧コントロールに使っているはずだ。P−3Cと同じであるが、はて、海自のP−3派生型ではここのディテイルがちょっと違っていたような…
V 機内
<写真V−1>
左が機内の配置図である。云うまでも無いが上が前方。
手洗いの扉(同図で右舷前方にあるHEADと書いてある部分。詳細は後述)に貼ってあったものだ。以下、本図をベースに機内を見ていくが、1〜25までの番号がふられている場所が、人が座るところである。
左舷前方、座席が3、4と並んでいる箇所があるが、座席3はフライトステーションにあるので、恐らく3は5の誤記であろう。また、同写真には座席5が見当たらないことからも誤記であることは間違い無いと思われる。従って、以後この座席は4/5と呼称する。 また、その後方に11、12と番号がついている場所があるが、ここはラック(棚)であり、座席位置ではない。本来の座席11/12は左舷中央、主翼の上である |
<写真V−2>
フライトステーションである。左が座席1(パイロット;操縦士)、右が座席2(コパイロット;副操縦士)。写真は座席3(フライトエンジニア;機上整備員)位置から撮っている。
各種計器についての解説を始めるとキリが無いのでしない(笑)。ただ、中央部のパイロット寄り(黒い四角の部分)には、P−3Cではディスプレイが付いている。航法データ等を表示させるものであるが、UP−3Aにはついていたのだろうか。後述の理由により、ちょっと疑問である。無かったのかもしれない。
<写真V−3>
何を撮ったんだか(笑)
上写真の中央部の手前、左下の計器パネルである。無線機の操作パネルのようである。その右、下側のトグルスイッチの付いたパネルは自動操縦装置の操作パネルである。
<写真V−4>
パイロット後方の壁。P−3Cではここにヘルメット収納袋があったような記憶があるが、UP−3Aには無い。少なくとも、現状では取り付いていた跡は見えない。
なお、コパイロット後方には携帯酸素ボトルが4つ搭載されるように写真V−1には書かれているが、当然ながら現物は搭載されていない。また、搭載のための金具も見当たらなかった。
<写真V−5>
左舷前方、座席4/5の前方パネル。写真V−1でNAV
RADIO(航法無線士)と書かれている部分である。写真奥が前方。
P−3CではTACCO(タコ、Tactical
Cordinator、戦術航空士)の位置にUP−3Aでは航法無線士が搭乗しているらしい。
当然であるがP−3CのTACCO席とは全く異なった計器、どちらかというとNAV/COMM(ナブコム、Nav-igation/Communication、航法通信士)席に近い、若干の航法用計器と無線機が並んでいる。
P−3Cでは、写真V−2でいうところのディスプレイへ航法等のデータを表示させるのはTACCOの任務である。ところが、それ用と思われる機器が見当たらない。従って、UP−3Aのフライトステーションにはディスプレイが無いか、あったとすればフライトステーション側で操作していたと考えられる。ただ、フライトステーションにもそれらしき機器は無かったが。
(ちなみに、民間航空ではそのようなものが無くても運行はなされている)
<写真V−6>
上側に並んでいる計器は、左から高度計、速度計、HSI。その右の計器は取り外されているが、恐らくADIだろう。高度計の下に並んでいる小さい計器は左が真対気速度計、右が全温度計。真対気速度計の下にある四角い部分はペン挿し、である。その左はレセプタクル。
下と右に並んでいる四角いものは全て無線機の操作パネル。
<写真V−7>
座席4/5の全景。なかなか豪華な椅子である。
<写真V−8>
座席4/5の後方、壁との隙間。写真V−1ではWATER
BREAKER(水樽)が2ケ搭載されるようになっているが、その固定金具である。何となく、丸い穴が2ヶ所あるのが分かるだろうか。
その後方、縦に細長い四角が並んでいるのはパラシュートを格納しておく場所と思われる。人数分のパラシュートは機内の各所に格納場所が確保されているはずだが、ここにあったのは4人分だけである。恐らくパイロット、コパイロット、フライトエンジニア、ナブの分であろう。
<写真V−9>
座席6/7。P−3CではNAV/COMM席である。
写真V−1でCREW STA(Crew
Station、搭乗員席)となっているが、計器等は取り付けられていない。なお、座席6の上に少しだけ見えているのが写真V−1で示されているFIRE
BOTTLE(消火器)の固定金具である。
<写真V−10>
座席4/5の後方を見ている。P−3Cでは電子機器のラック(棚)がある場所だ。
白い扉の部分が写真V−1の11/12ラック(棚)、木目調の扉の部分はLUGGAGE
COMPARTMENTSの前方部分である。11/12ラックには電子機器が入っているものと思われるが、LUGGAGE
COMPARTMENTSは乗客の手荷物入れだろう。
<写真V−11>
同じ部分を今度は後方から見ている。
手前の白い区画がLUGGAGE
COMPARTMENTSの後方部分で、ハンガーをかける横棒が準備されている。
<写真V−12>
座席6/7の後方を見ている。写真V−8でちらっと見えていた消火器の取付金具がはっきりと写っている。
座席の後はHEAD(ヘッド、頭)、海軍の隠語で手洗いのことである。帆船時代、トイレが舳先にあった(帆船では風は後から前へ流れるのでそうすると匂わない)ことに由来するのだが、伝統に則って未だに前方にあるのも面白いし、また、隠語であるにも関わらず公式文章にも出てくるのも面白い。
ただ、P−3CではHEADは後方へ移されており、この位置は電子機器ラックとなっている。写真V−1の機内配置図はこの扉に貼られていたものである。
ちなみに、鍵がかかっていたので中は覗けなかった。
<写真V−13>
HEADの更に後方、写真V−1で右舷側のラック41〜44、ELEC BAY、MAIN ELEC LOAD
CTRを見ている。
ラック41〜42には電子機器が入っているのだろうが、これはP−3Cと同じである。
(たぶん)ラック43〜44、及びELEC
BAY(ELECTRIC BAY、電子機器室)の位置は、P−3CではSS−3(Sensor
Station−3)席といって、レーダーの操作員が搭乗している場所である。写真U−1でレーダーを搭載していないようだと言ったのは、ここに座席が無いこと、及び他の場所にもレーダーのディスプレイを搭載していたと思しき場所が見当たらなかったことによる。また、写真U−14で丸窓が無いと云っているが、その丸窓はSS−3用のものである。
なお、MAIN
ELEC LOAD CTR(Main Electronic Load Center、主配電盤)の位置はP−3Cと変わっていない。
<写真V−14>
MAIN ELEC LOAD
CTRを後方から見ている。黄色で囲まれたハッチは、写真U−13でも示した右オーバーウイングハッチである。写真中央右に薄く黄色いカギカッコが見えているが、これはCUT
HEREを示している。但し、写真U−13の位置とは全くマッチしていない。
写真V−1では、MAIN ELEC LOAD
CTR後方に消火器×2とFIRST AID
KITが搭載されることになっているが、それらしき取付金具は見えない。写真に写っている赤い消火器の看板は、地上展示用のものであって機内搭載用ではない。
なお、この位置にはMK−12
RAFT(12人乗り救命いかだ)が搭載されるようだ。(後述するが、MK−12はもう一つ搭載されることになっており、合計24名の乗員乗客が脱出できる。が、本機の座席数は25である。やはり海軍の伝統に則って、機長は機と運命を共にするのだろうか…(*))
*:これは大英帝国海軍と大日本帝国海軍の伝統であり、米国海軍にその伝統は無い
<写真V−15>
MAIN ELEC
LOAD
CTRの扉を開けてみた(笑)。扉という扉は全て鍵かかけられていたのだが、なぜかここだけスルー。もっとも、見てもよくわからないが。空間が大きいのは、配電盤なのでこうでもしないと熱気がこもるんだろう、と理解することにする。(本当は中に人が入って修理するためにはこれくらいの広さが必要なのかも)
<写真V−16>
手前から、座席8〜13、及び奥に座席22/23が見えている。座席8/9と座席10/11は背中合わせだ。
P−3Cでは電子機器ラックとSS−1、−2(Sensor
Station−1、−2)席のあるところである。
<写真V−17>
座席8/9の前方。テーブルが出てくるようになっていること、そしてその上にサインボード(?)があるのがわかる。
<写真V−18>
サインボードのアップ。同じ物が、どの席からでも見えるように適宜必要な位置に取り付けられている。「NO
SMOKING」と「FASTEN
SEATBELTS」が表示されるのだが、誰がコントロールするのだろう?
ちなみに、材質は何となくベニヤっぽい。UP−3Aは室内に高級感を出すためか随所に木目調を使っているが、いずれも材質が安っぽいので失敗している。
<写真V−19>
座席10/11と12/13の間にある折畳式のテーブル。ロックを外すと上側が手前へ下りてくる。H型をしている部品はテーブルの脚。
同様の折畳式テーブルは座席16/17と18/19の間、座席20/21と24/25の間にもある。
<写真V−20>
座席12/13の後方。
写真右が左舷側のオーバーウイングハッチ。ハッチはテーブルに立てかけられている。写真V−1ではこのテーブル位置にMK−12
RAFT(12人乗り救命いかだ)を搭載するように書かれているが、テーブルの中だろうか。
その後はエントランスドア、そしてバブルウィンドウのところは座席22/23。
<写真V−21>
手前から、座席14/15、16/17、18/19、20/21、24/25。
各座席の間には折畳式テーブル、そして座席24/25の上にはサインボードが装備されている。
P−3Cではソノブイのラック、及び機内からソノブイを装填するためのチューブがある場所である。
<写真V−22>
座席14/15の前方床。
全ての座席はこのようなレールで固定されている。取外しは比較的容易なように見えたが。
<写真V−24>
ドームライト(写真奥)とギャスパ(空気の吹き出し口、手前左)とスポットライト(手前右)。
ドームライトは向かい合った座席の中央、ギャスパとスポットライトのセットは各席の上にある。
この写真は座席20/21と24/25の間のものだが、座席8/9以降には全て同様の装備がなされている。
(座席4/5、6/7には同様のギャスパやライトは無かったように思う)
今気付いたが、内張りの継目の押えも全て木目調になっている。
<写真V−25>
座席20/21と24/25の間のテーブルは展開した状態で展示されていた。割合と雑な作りである。
座席24/25の横は右舷後方のバブルウィンドウである。
<写真V−26>
左舷後方にあるエントランスドア(Main Cabin
Door)の床面。画面上が左舷側機外、画面右が機首方向である。
床面に2ヶ所、メクラブラが付いている。開けてみようとしたが、固着していて無理だった。
<写真V−27>
エントランスドアと座席20/21の間にあるメクラブタを開けたところ。中にリングが入っている。ひょっとしらたラダー(階段。P−3では昇降用の階段を機内に搭載している)を固定するためのものかもしれない。
写真V−26のメクラブタの中も同様にリングが入っているのだろうか。
<写真V−28>
座席22/23、24/25の位置から後方、ギャレー(調理室)区画を見ている。
写真V−1では座席22/23の後方にWATER
BREAKER(水樽)が装備されているように書いてあるが、座席のヘッドレストと壁の間隔を見るととてもそのような隙間があるとは思えない。
ちなみにここから後、特に右舷側の造作はP−3Cと全く異なる。
<写真V−29>
座席24/25後方のCLOSET。P−3Cでは手洗いの位置である。南京錠がかかっているので扉は開かない。
<写真V−30>
CLOSET後方にあるBUNK(寝棚)。写真左が機首方向である。
BUNKは下ろした状態である。普段は上方へ跳ね上げ、テーブルを使用できるようにしているものと思われる。
写真が暗くて分かりにくいのだが、BUNKの後方(写真の右)には仕切りの板が一枚入っている。
P−3Cでは、この位置にはテーブルを挟んで二人がけの椅子が装備されている。また、丸窓も2つあるのだが、UP−3Aではそれらが一切無い。
(P−3CでもBUNKはある)
<写真V−31>
BUNKの後方。物置と化しているが(笑)。
扇風機は本機の装備と関係無いだろう。問題は蛇口である。これもその形状から、間違いなく地上展示後に改修したものだろう。第一、P−3にこのような給水システムは存在しない。
となると、問題は二つ並んでいるシンクである。元々蛇口が存在しないと推定される以上、これも地上展示後に改修した可能性が大きいと思う。
P−3Cでは、この位置は同様にテーブルとなっている。
<写真V−32>
機内最後方。P−3Cはこの位置にテーブルは無い。
このテーブルがUP−3Aへの改造に伴って増設された証拠に、テーブルがアウトフローバルブ(中央の丸穴)を避ける作りになっている。
<写真V−33>
これがそのアウトフローバルブ。機内の気圧が機外の気圧と
比べて相対的に高くなりすぎた場合、機体の破損(破裂)を防ぐために、緊急的にこのバルブから空気を逃がすのである。
テーブルが後付け(と思う)なので、テーブル面をえぐってアウトブローバルブの開口面積を確保している。
<写真V−34>
ギャレーの左舷側。
丸窓の位置はP−3Cと変わらない。その上に2ヶ所、ギャスパがあるが、これはここに座席があったことの名残である。確かテーブル面の前方には座席があったと思う。
丸窓の後方はP−3Cでは水樽や電気ポット、オーブンが搭載されていたはずだが、UP−3Aではどうなっていたのだろう。まさか脚立や草刈り機が装備されていたとは思えないのだが(笑)
<写真V−35>
写真V−34の下部。手前(機首側)の2区画くらいは冷蔵庫になっていた。
W まとめ
P−3C本機は、防衛秘密の関係で、海上自衛隊機の機内が公開されるという事は有り得ない。
だが、かつて(私の経験では)一度だけ、厚木基地で米海軍P−3Cの機内が公開されたことがある。本レポートはその時の記憶と、各種公開資料を駆使して作成したものである。
(なので、本文中ではP−3C=海上自衛隊機と定義しているが、実はあやふやである)
それにしてもディテイルばかりのレポートになってしまったが、それについては勘弁して欲しい。本レポートの意義は、世界中に存在する(するのか?)P−3フリークならば、きっと価値を分かってくれると思う。
合い言葉は
THE HEAVY and
SLOW!
(重くて遅いっつーの、P−3は!)
【三沢航空科学館へ】
【蒼空の記録へ】