空の日


2011年10月22日
 

 YS−11量産初号機という言葉につられて行ってみた。

 空の日、とは?

 「明治43年12月19日、徳川、日野両陸軍大尉が代々木練兵場において日本初の動力飛行に成功したこと、及び紀元2600年(神武天皇が橿原神宮で即位したのが紀元元年)を記念して、昭和15年に9月28日を航空日と定めた。
 翌年、航空日は9月20日に改められたのだが、平成4年に航空日を空の日と改称した」のである。

 つまり、だ。明治43年12月19日を記念するために、昭和も15年になってから記念日を9月28日と定めて、その翌年には9月20日に変更し、更に平成4年には名称まで変更したのである。しかも、そのイベントが10月22日に行われているときた日には、日付にも名前にも何の意味があるのやら無いのやら。

 とはいえ羽田の旧整備場へ行けば、国立科学博物館所蔵の、普段は仕舞いこまれたままのYS−11量産初号機が見られるとあって、それならば行かねばならないのである。と言う訳で、以下、飛行機写真の解説。



京急線天空橋駅を降りたところにあった会場への案内標識。手作り感満点である。
とても国土交通省肝いりのイベントとは思えない(笑)
気の使っていなさは、自衛隊の基地祭以下だなw



会場まで10分くらい歩くのだが、その途中にあった建物。
向こう半分がJAL、こっち半分がANA。何だろうね。





お目当てのYS−11量産初号機、国立科学博物館所蔵。
ここ羽田旧格納庫に保管されたまま非公開となっているので、こういう機会でないと見ることができない。
本機は、航空局で飛行点検機として使われていた機体だ。ちなみに、試作初号機は、成田の航空博物館にある。




これはめっけ物、JAXA(宇宙航空研究開発機構)所有の三菱重工製MH2000。
JAXAではMuPAL−εと呼ばれ、試験用に使われている機体。
純国産だが数機しか造られなかった。その理由?売れなかったからだよ。



ハンガー内展示の最後、日航で使われていたDC−8の機首部分。
鶴のマークが懐かしい。




エプロン全景(展示機はこれで全部、クリックで拡大)。左から、
セスナ560(ブルーシートの左に垂直尾翼だけが見える)、ドルニエ228、ボンバルディアBD700、
ガルフストリームW、ボンバルディアDHC−8、サーブ2000。

では、順番に。



セスナ560、読売新聞で使っている機体。




ドルニエ228、これもJAXAで試験用に使っている機体。
こちらはMuPAL−αと呼ばれ、可変特性機構も組み込まれている。



ボンバルディアBD700、航空局で飛行検査(空港施設が正常に作動しているかどうかの確認)に使われている機体。




ガルフストリームW、これも航空局の機体。
上のボンバルディアとよく似ているが、実際のところ、販売面でも競合しているようだ。




ボンバルディアDHC−8、航空局。
名称はボンバルディアとなっているが、この機種はその前身(の一部)、DHC(デ・ハビラント・カナダ)で設計されたものだ。
DHCがボンバルディアに買収された後も生産が続けられており、ANAなどでも使われている。
筆者も中部国際→米子で乗ったことがあるが、その前任であるフォッカー50に比べると上昇率が随分よかった(余剰馬力が大きいのだ)。




サーブ2000、航空局。
サーブ340を長胴化したものが2000だが、340が日本の民間航空でも使われているのに対して、2000を使っているのは航空局だけである。ちなみに2000は初見、340は未見である。




実は、サーブ2000は好きだ(笑)。乗ってみたいのだが、上にも書いたように国内の民航では使っていない。
ならばせめて340でもと思うのだが、これまた仕事でもプライベートでも縁もゆかりもないローカル路線を飛んでいるのでどうしようもないのである。


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