三沢航空科学館


2009年7月26日
 

 無理矢理青森行きの出張を作って、そのついで(というより主目的)に青森県立三沢航空科学館へ行って来た。目的は航研機(レプリカ)の見学と、UP−3Aの調査(?)である。


 岐阜から三沢までは陸路、6時間かかる。それでも東京から八戸まで新幹線が通じた(写真は東京発のはやて13号)ので、昔に比べれば早くなった。
 かつては、陸路では1日かかるので、空路で名古屋から花巻、もしくは青森まで移動し、そこから列車であった。それでも半日以上かかっていたのであるが。








 東北新幹線が大宮を過ぎると、ビルが無くなり関東平野の広大さが強調される。山国岐阜ではありえない平地の広さだ。












 東北新幹線は八戸まで。
 八戸から三沢までは特急つがる13号、わざわざ特急をつかう距離ではないが、まぁ、乗ってみたかったのである(笑)

 八戸駅に来たのは17年ぶりだろうか、すっかり駅舎が立派になっているが、駅前は相変わらずのようである。








 岐阜を7時過ぎの列車に乗り、13:30過ぎにようやく三沢駅へ到着。
 ブルーインパルスの塗装をした謎の飛行機が編隊でお出迎え、である。
 しかしこれ、何の飛行機をモデルにしたのだろう?ちょっと機種が思いつかない。強いて言えばEE キャンベラだが、航空自衛隊で運用した実績は無い。第一、40年くらい前の飛行機である。







 JR三沢駅と隣り合わせにある十和田観光電鉄の三沢駅。三沢駅は、八戸駅と同じでなぜか駅の場所と街の中心がすれている。駅が寂れて見えるのはそのせい、である。










 駅ビル(?)内にある蕎麦屋。客はぼちぼちと。





 蕎麦屋の奥には切符売場。
 用が無いので買いはしなかったが、何となく今は懐かしい硬券(硬い、厚紙の切符。これを集める趣味もあるらしい)が出てきそうである。
 手前左に切符の自販機があるが、2台の内片方は新500円玉が使えない。






 三沢駅のホーム。時間があったら乗ってみたいが、そうもいかない。








 三沢駅で待つこと約30分。ようやくやって来たみさわ観光バスに乗り、青森県立三沢航空科学館へ。思いの他立派な建物である。

 ここまでで20分なので、歩いて行ける距離ではない。バスは1日500円で乗り放題なので安価だが、本数はない。その上、運行されるのは土日と夏休み、春休みの期間くらいらしい。後はタクシーで行くしかないが、それなりの料金はかかる。公共交通機関で行くつもりの人はよく下調べをしてから行ったほうがいい。





 展示の目玉はミス・ビードル号のレプリカ。初めて太平洋を横断した機体であり、ここ三沢市の淋代海岸から千島列島沿いに米国ワシントン州ウェナッチ市まで40時間以上をかけて飛行したものである。










 そしてもう一つの目玉、航研機のレプリカである。これが、ここへ来た目的の1/4のウェイトを占める。
 航研機とは、東京帝国大学航空研究所が周回飛行距離の世界記録を目指して製作した飛行機である。昭和13年5月15日、千葉県銚子−群馬県太田−神奈川県平塚を結ぶ三角コースを62時間余りかけて飛行し、周回航続距離世界記録11651kmと、10000kmコース速度世界記録186km/hを樹立した。戦前戦後を通じて、日本が航空機の世界記録を保持したのは本機だけだったと思う。
 



 右写真は左後から見たところである。
 本機は全長15m、全幅27mであるが、空気抵抗を減らすため、胴体幅は単発の液冷エンジンの幅に合わせて細くなっている。ちなみにエンジンは川崎(今の川崎重工)製、12気筒V型800馬力だが、恐らくDB(ダイムラーベンツ)のエンジンをライセンス生産した上で改良したものと思う。陸軍でハ−40の名称で使用された発動機である。

 蛇足だが、同エンジンは海軍でも別にライセンスを取得(DB社へ二重にライセンス料を支払うことになる)し、愛知航空機(今の愛知機械、日産系のメーカーである)で熱田という名称で生産された。双方とも、最終的には1400馬力程度までパワーアップしたのだが、本家ドイツでは1800程度まで馬力を向上させているはずだ。その差が、当時の技術格差であろう。

 そしてプロペラは何と固定ピッチ。
 車が速度に応じてギアを変えるように、プロペラ機も速度に応じてプロペラのピッチ(ねじり)を変更する。
 固定ピッチというのは車に変速機がついていないようなものだが、一定速度での飛行が前提なので、軽量化・単純化のためにこれで良しとしたのだろう。当時はまた、固定ピッチの最後の時期でもあった(現に、後継機であるA−26は可変ピッチである)。
 また、よく見るとプロペラの根元が太い。胴体等が邪魔になって推力の発生に寄与しない根元は、軽量化のために細くするのが常であるが、この機体は根元も太いままである。恐らく、プロペラ自体の発生推力が根元と中央部で不連続となることによる効率の低下を嫌ったのであろう。米国機に良く見られる手法だ。


 こちらはYS−11(イチイチ、である。ジュウイチ、ではない)、2002年まで日本エアコミューターで使用されていた実物である。日本で開発された唯一の旅客機である。
 製造された旅客機は、30年間使われる。そして常々思うのだが、製造メーカの立場として見た場合に、始めの10年は赤字、次の10年で収支トントン、最後の10年でようやく黒字が出るのであるが、その利益を使って次の航空機を開発するのである。
 米国ボーイングの様に多機種を生産していると、他機種の黒字で赤字を埋めることができるのだが、日本の場合、YSしかなかった。そして、赤字の10年に耐えることができなかったのである。


 さて、館内にはこの他にS−51というヘリコプタ、複葉機数種、等があったが写真は割愛(すみません、ヘリや複葉機は苦手なので…)。興味のある人は同科学館の公式HP等を参考にして欲しい。
 また、航空機とヘリのシミュレータもあったので、乗ってみた。航空機の操縦はまあまあだったのに、ヘリはやっぱりダメである。離陸すらできず、ヘリはやはり感覚が合わない…。


 科学館には広場が付属しており、そこにも機体が展示されている(奥は三沢空港、右手は米軍三沢基地)。上写真がそれら機体で、3Fの展望室から撮ったものである。とりあえず紹介しておくと、中央奥がF−4EJ、その手前がLR−1。円弧状に並んでいる機体は左からT−33A、T−3、UP−3A(白くて大きい機体)、F−1、T−2(ブルーインパルス)、T−2、F−104J、F−16。

 戦闘機(小型機)好きの読者には申し訳ないが、それらの写真はこれ以上は無い。あるのは中央の白くて大きい米海軍UP−3Aの写真のみであり、そしてそれこそがここへ来た目的の残り3/4なのである。



UP−3Aへ
蒼空の記録へ