檜原村(その5)−猿江


2012年1月29日
 

 東京のチベット、奥多摩。本気でそう思っていた、檜原村を知るまでは。

【地図:檜原村猿江

 

 猿江へは地図の右下の方、神社記号のすぐ左にある建物(藤倉小学校跡)前の道を西へ行く。写真は小学校前から西側に建っている家を見たところ。中央にある家のわきを通り、上にある赤屋根の家から山の中へ入っていく。












 地図@の家、かどうかは定かではない。地図にある分岐が見つからなかった。家ではなく、物置小屋のように見えるが・・・。














 地図Aへはここの分岐を左へ下っていく。地図では道沿いにあるように見えるが、実際には道の下であり、植林が視界を妨げていることもあり、うっかりしていると見過ごしてしまう。













 すぐに1軒目が現れる。
















 庭を横切って(横切るしかない)反対側へ。
 本当は他人の庭なんて横切りたくないし、その上、どんなトラップ(例えば「○○ダメ」とか)が雪の下に隠れているかわかったものじゃないのだが、他に通れそうなところもないので仕方がない。












 最初の家の奥、少し高くなったところにもう1軒。















 ちょっと中をのぞいて見る。
 純和風な塗り壁の日本家屋には不似合いな洋風のダブルベッド、じゃなくて、どうやってこの巨大なものを運んだんだ?分解できるのか??












 さっきの分岐まで戻って、今度は右(本線w)を奥へ進む。
 登山道にしか見えないのに街灯があるのは、ここが生活道路である証拠だ。












 これなどは余り見かけない看板だ。
 とはいえ、冬に奥多摩へ入ると、普通に発砲音やら猟犬の吠える声やらだけでなく、猟銃を持った人と出くわすのも珍しくない。

















 発砲注意から程ないところに人家、地図のB。斜面に建っているので引きの写真が撮れない。家の道をはさんですぐ前は斜面だ。
 ちなみに写真奥に写っている斜面は畑。家の様子から、住人はいない。











 来た道を振り返る。写真中央、左右に走る細い筋が来た道だ。上の家は写真左手。














 少し進んだところにCの家。下りてゆく道が見つからない。
 写真右手斜面の、青いトタンで囲まれたところは畑(と思う)。害獣除けだろう。奥多摩や檜原では普通にある。













 カメラをちょっと引いてみた。左下が上写真の家。右上にもう1軒あるが、高床式になっているところが何となく最近の家のように思えるし、また倉庫っぽくもある。













 地図Dの分岐、ここまで40分。
 看板には、左は何も書いていない。右は矢印とともに小河内峠方面とある。左へ下りていく道に、何となく轍がある。何だろう?
 気にはなるが、とりあえず右へ。












 突然目の前に人工構造物が現れた。山の中によくある、超小型モノレールの支柱。これが意外と低くて、頭をぶつけそうだった。














 更に進んでいく。どこまで行くのかよく分からないが、除雪してあるので人は入っているのだろう。














 分かりにくいが三叉路。左下に橋、正面にも橋、右の看板の向こうに、明らかな獣道(作業道)。ここまで来ると除雪も途切れているので、どれが本線かよく分からない。とりあえず正面の道が一番太い(笑)ので、行ってみる。












 そろそろE?と思いながら何気に見上げると(Eは下だw)、祠。塗りも新しいので、きちんと手入れされているようだ。
 しかし、こんな山の中に祠って、びっくりだな。













 行きかけてから下をみると、おぁ、あれがたぶん地図のE!
 祠に気をとられて見逃すところだった。














 どうやらさっきの三叉路を左に行くのが正解だったらしい。
 この写真は三叉路を下って、振り返って撮っているのだが、雪の上に轍。何の轍だ?それから、木によりかかって冷蔵庫。昔、実家にあった東芝のによく似ている。いや、そうじゃなくて、どうやって運んだんだ?担ぐ?? さっきのダブルベッドといい、山の中には謎がいっぱい。










 ちなみに雪だが、足がくるぶしまで沈んでいるので、積雪は概ね20cm。上野アメ横中田商店で購入したのコンバットブーツのおかげで、何ともない。













 Eの家。上の道から見えていた青いのはこのトタンだ。
 家の前の雪の上には新しい足跡(もちろん人)があったので、出入りがあるのだろう。物盗りと間違われても面白くないので早々に退散した。












 地図Dの分岐まで戻って、今度は左へ行く。雪の上の轍はキャタピラ?そういえば、猫車くらいの大きさのキャタピラ作業車ってあったっけ。













 地図Fの位置にある家に到達。ただしこれは道の上側にある家。下側にある家は、分からなかった。














 来た道を振り返る、って来た道が分からない(笑)。まぁとにかく、あのような斜面をあるいて来たのだし、今建っているこの家もあのような斜面にあるのだ。













 人は住んでいないようだ、少なくとも冬季は。
 軒下には尺ほどの氷柱。








 庭からの風景。















 更に更に先へ進む。轍は続いていて、電柱も立っている。この奥にもまだ家があるのだ。














 Gが見えてきたが、この先が結構な下り勾配。帰りが思いやられる。にしても、轍が気になる。














 下る途中で振り返る。えらい勾配だな、落ちると「雪だるま」なんてシャレでは済みそうにない。














 で、ここが最奥のG。
 轍の主を確かめたかったが、人がいたっぽいので早々に退散。
 それにしても、えらい奥です。










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