日野オートプラザ
2010年5月22日
 

 開館時間の制約からなかなか都合がつかなかった日野オートプラザに、ようやく行くことができた。展示内容はそりゃあもう・・・


 突然だが、日野自動車は東京都日野市にある。日野自動車があるから日野市かと思ったがそうではなく、日野にあるから日野自動車であるらしい。その前身は東京瓦斯電気工業で、それなら昔々飛行機の発動機(エンジン)を造っていたので馴染みである。

 前置きはそれくらいにして、日野自動車の博物館、日野オートプラザにやってきた。昨年度後半、日野市近郊で長期出張をしていたのだが、ついぞ見学する機会に恵まれなかった。何故かというとこのプラザ、平日と隔週土曜日しか開館していないという何ともやる気の無い博物館なのだ。




 瓦斯電気工業の時代に造っていた航空機用発動機。瓦斯電気の発動機は、終戦まで空冷星型単列、1000馬力未満のものしかない(ちなみに日立も同様である)。端的に言えば、練習機程度の機体に使われるエンジンを開発するのが精一杯のレベルだったのだ。
 当時の日本で独自に高性能エンジンを開発できたのは、三菱重工と中島飛行機(現在の富士重工)しかなく、川崎重工(当時は川崎航空機)ですら、ダイムラーベンツのDB601をライセンス生産していたに過ぎない(もっとも、独自に改良はしていたが)。






 天井からは周回距離の世界記録を樹立した航研機の模型が吊り下げられている。航研機についてはこっちにも書いたが、その製造は東京瓦斯電気で行われたのだ(設計は航研である)。









 川崎航空機製ハ−9。水冷V型12気筒、42L、900馬力。東京瓦斯電気はこのエンジンをベースに若干の変更を加えて航研機のエンジンとした。


 さて、飛行機関係はこのくらいにして(というか、このくらいしかない)、本題(?)の車に戻る。




 現在ではトラックとバス(ということはディーゼルエンジン)専門の日野自動車だが、昭和30年代までは乗用車も生産していた。これは日野ルノーPA。その名の通り、仏ルノーと提携して製造した車だ。










 コンテッサ1300。日野、といえばコンテッサの名前が思い浮かぶが、実物を見るのは初めてである。
















 同じコンテッサでもこちらは900。
















 オート三輪、といえばダイハツやマツダだけではない。日野も「ハスラー」という名で製造していたのだ。妙にピカピカだが、レプリカではなくレストアである。










 だんだん日野らしくなってきた(笑)。これは日野コンマース。何の変哲も無いワンボックスの商用車である。













 真打登場(笑)。日野といえばバス、トラックである。これは日野BH15、昔懐かしいボンネットバス。私の世代でももう、記憶はおぼろである。














 BH15の車内、後方から前方を見ている。床の板張りが懐かしい。昔は電車も板張りだった。









 運転席。計器の回りは青竹色のジンクロのまま。シートベルトが無いところに時代を感じる。そーいやシートベルト着用が義務化された頃、巷にはまだシートベルトの装備が無い車が走っていたっけ。





 おおとりは屋外に展示されている日野ライジングレンジャー、パリ・ダカールラリーにカミオンクラスで出場した車である。でかくてゴツイところが格好いい。












 というわけで、駆け足の日野オートプラザ訪問だった。おっと、言い忘れましたが場所は東京都あきるの市、路線的には東京から八王子の更に向うなので、「ちょっと東京出張のついでに」とはいかないのがつらいところです。

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