奥多摩の廃線
2010年3月20日/3月29日
小河内ダム(奥多摩湖)建設の資材を運ぶために、奥多摩駅からダムまで鉄道が敷かれた。それが今も残っている。水根貨物線、とか小河内線とかいうらしいが、ダムの建設が終了したら観光に使う目的だったようだ。所有者は紆余曲折があって現在は奥多摩工業となっている(?)ようだが、路線自体は廃止ではなく休止扱い(書類上)のようである。 |
(1)前編 3月20日
見てしまった、のである。
奥多摩湖へ向かうバスの車窓から、何の予備知識もない頭に突然、コンクリート製の橋梁が飛び込んだ。こうなってはいても立ってもいられず、行くしかないのだが、予定の雲風呂付近探索と浮橋渡り、奥多摩湖南岸散策を終了させてからのアタックとなった。
小河内ダム駐車場の手前、ガソリンスタンドの向かいから見た風景。右手の砂利が山積みとなっている辺りが駅(?)のあった場所、終点である。向うに見えている、道路をまたいでいるのが線路である。
実はこの時点で15:44。3月も末とはいえ、日没は早い。急がねば山の中で立ち往生、もありえる。
前の写真で道路をまたいでいるところ。すぐに隧道が始まる。名称は水根隧道、昭和27年製であり、以下、全ての隧道の開通は同じ年度である。施工は間組、その他は鹿島建設など、有名どころが並んでいる。
不完全ながらも、レールは残っている。廃止ではなく休止なので、撤去してはいないのだろう。ただ不思議なことには、枕木はあったり無かったりする。
このような状態が最後まで続く。
隧道を抜けるとすぐにまた隧道。その間を主にコンクリート製、たまに鉄骨の橋梁がつないでいく。それがこの廃線の基本構成であり、最後まで変ることはない。そして隧道は数キロという短い路線に十幾つも存在するのである。
この隧道は少し長く、向うが見えていない。が、なぜか山歩きの時にはフラッシュライトを必携しているのだ。
隧道を出るとあった張り紙。後で知ったのだが、廃線後は部分的に散策路として指定されていた時期があって、その頃は隧道内に照明が灯っていたらしいのである。
もちろん今では照明は撤去されていて、電気もたぶん通じてはいまい。
幾つ目かの隧道、前方に柵が見える。が、近づいてみると隅の方が開いていたので難なく突破。
隧道を抜けると橋梁を挟んでまた隧道。基本的には最後までこの光景が続く。ここはコンクリート製の橋梁なので、通過するのに恐怖心は無い。
路線の真ん中に木が生えている。10年物だろうか。
唯一この隧道を出たところだけ、橋梁が落ちていた。たぶんこの辺だと思う。写真は振り返って撮っている。
隧道から出たところで沢を覗きこむ。石垣で組まれた用水路(?)が見えているところから、かなり前に橋梁は落ちて、そのまま復旧する気は無かったらしい(廃線なので当然だな)。
何となく沢を下りて、難なく向こう側の隧道に到達する。
途中の隧道の中。くるぶしより十分上まで枯葉が積もっている。中に何があるか分からない(はっきり言うと、死体が埋まってたり)ので、とても気持ちが悪い。
この橋梁は少し怖かった(たぶんここ)。枕木が腐っているので線路の上は歩けず、側道(?)を歩いた。ただしそっちも薄いアスベストみたいな板なので、いつ抜けるかとヒヤヒヤものだったが。
この橋梁は、だめだった。枕木が腐っているうえに、下の鉄骨も幅が狭く、とてもじゃないが足を乗せられない(ここらへん)。強行するには危険すぎるので、通過はあきらめて谷へ下りる。
谷底から見上げた写真。右手から来て、何とか斜面を下りたのだが、行き先である左手の斜面はかなり急であり、しかも土が軟らかいので、取り付いてもズルズル滑るだけで登れなかった。
また、このまま沢を下ることもできない(途中に小さいが滝がある)ので、再び画面右の元の位置へと登った。
結局、そのまま下の道まで降りてしまった。写真の上のほうに写っているのが、通過をあきらめた橋梁である。谷が深く、沢は途中で滝になっているのが分かると思う。
結局この後、廃線跡は斜面の高いところに時折姿を見せるだけ(あとは隧道の中)で、しばらくは復帰することはできなかった。
ようやくこの位置で、道が廃線跡と交差した。このまま再び路線跡に復帰しようかとも思ったが、時刻は既に17:58。暗くなり始めているので、これ以上の深追いは危険と判断し、大人しく帰路につく。またいつか、機会をつくって残りを歩くことにしよう。
(2)後編 3月29日
半ば強引に出張をつくって、9日後に再挑戦してみた。前回は小河内ダム側から下って来たのだが、今回は奥多摩駅川から上って行くことにする。目標は前回あきらめたポイントまでの奥多摩駅側からのアプローチと、通過できなかった橋梁の制覇である。そして今回はMDK氏が同行してくれることになった。
奥多摩駅の北側にある奥多摩工業が、廃線の始点である(かつては奥多摩駅とつながっていたらしい)。写真の中央が線路の跡だが、工場敷地内なので立ち入ることはできない。
奥多摩工業から出た線路は、短い隧道を抜け、この橋梁で多摩川を渡る。
上写真の右手にある隧道の出口。フェンスで塞がれているのが分かる。
橋梁の上は草がぼうぼう。実はここが、この探索の最後の写真で見えている橋の上なのである。
で、この先はというとすぐに隧道なのだが、完全に封鎖されているので、あきらめて戻ることにする。
基本的には前回同様、ひたすら隧道をくぐり、橋梁を越えるのみなのだが、時折こうやってややこしい藪になっていたりする。手足の短いMDK氏はからめとられたりして・・・
たぶんここにある橋梁。枕木が腐っているようで、怖くて渡れなかった。
仕方がないので谷へ降りて迂回。下から見たところ、構造自体はしっかりしているようなので、枕木さえ腐っていなければなぁ・・・。
いくつ目かの隧道を抜けると、前回諦めた橋梁が出てきた。こちら側は落ち葉が積もっていて、枕木自体の腐り方が確認できないところが、反対側よりもいやらしい。意を決して、と思ったが無理。同行のMDK氏も無理、とのこと。谷へ降りようにも余りに急で、降りるよりも落ちることになるので、またもや断念。
この後は道に出られるところまで引き返して、橋梁下の道まで上り、前回下った斜面を逆に登って行った。
これがその、斜面を登って行くときにみた件の橋梁である。こうしてみると、何てことないんだがなぁ…。
この橋を迂回したところで一応全線踏破は完了。しかし同行のMDK氏は初めての道だったので、とりあえず最後(奥多摩湖)までは廃線跡を歩いて行った。
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