多磨霊園
2010年1月17日
東京長期出張も5ヶ月目。毎週末のように出歩いてはいるが、さすが東京。汲めど尽きない泉の如く、遊びのネタには困らないのである。今回は多磨霊園へ著名人の墓参りへ行って来たので報告する。 |
東京での事務所の壁に貼ってある観光案内を何気に見ると、調布飛行場の西側に多磨霊園という、つまりは墓地があり、そこに「与謝野鉄幹・晶子夫婦」や「三島由紀夫」の墓があるように書いてあるのだ。
墓を見て面白いのか?と言われればそれまでだが、調べるといるわいるわ。著名人がぞろぞろと(?)埋葬されている。都心の青山墓地には明治の元勲やその時代の人士が多いのだが(たぶん)、ここはそれより下って昭和から現代までの有名人が多く葬られているようなのだ。
とても興味をそそられたので、天気の良い、真冬の半日を使って巡ってみることにした。ただ、墓地という関係上、そっとしておいてもらい人々も多いだろうから、以下、写真はほとんど無い。写真に撮ったのはある程度他人に見てもらうことを前提とした墓(と私が判断したもの)と、有名すぎて今更と思える人の墓(とこれまた私が判断した)だけである。
また、最後に訪問した墓の一覧を付しているが、それは私が興味を惹いた人士のうち、半日という時間内で回れるよう更に取捨選択した結果として残ったものである。全部回ろうと思うと、とてもじゃないが2日はかかるのじゃないかな。ネットでも「多磨霊園」でググると少なからぬ数のサイトがヒットするので、興味のある御仁はそれぞれ調べることをお勧めすると云爾。
西武多磨線多磨駅の西側に多磨霊園はある。
駅を下りて霊園までの道すがら、とうぜんだが墓石屋が多い。しかし墓石屋が全て「XX家」と名乗るのはこの辺りの商習慣だろうか。
多磨霊園の中心、名誉霊域(特別区画)にある噴水塔。
以下、ザクザクと霜柱を踏みながら見て回った順に紹介する。
昭和のジャーナリスト、桐生悠々の墓。戦前、反軍的な記事を多く書き物議をかもした。代表的な著作に「畜生道の地球」、文章としては陸軍による防空演習を批判した「関東防空大演習を嗤う」。
墓碑には「蟷螂は 鳴き続けたり 嵐の夜」とある。
(意味は特に解説しない)
墓には本名が彫られる。従って、著名人とは言っても作家の如く筆名を使ってい、本名が知られていないと墓を探すのも難しくなる。上の桐生悠々は珍しく例外だが、こちらは作家の代表作の人形があったので助かった。
のらくろで有名な田川水泡である。人形は勿論のらくろ。
簡潔であるが故に表しきれない全てを内包している最後の海軍大将、井上成美の墓碑。海軍次官として海軍大臣米内光政を助け、終戦工作に尽力した人だ。興味のある人には阿川弘之が井上成美という評伝を書いていると言っておく。
わかるでしょ(笑)
芸術家、岡本太郎の墓である。これは、生前に作っておいたのかもしれない。岡本の彫刻は分からないが、絵は好きである。見ていると生気が満ち溢れてくるような、そんな絵を描く。岡本の絵を見ると、いつももう少し頑張ってみようと思えるのだ。
特別区画にある元帥海軍大将山本五十六(正三位功一級大勲位)の墓。
海軍次官、開戦時には連合艦隊司令長官。開戦劈頭のハワイ空襲は、この人の頭の中から出た。
昭和18年、連合艦隊司令長官在職のまま、南方で乗機が撃墜され戦死。国葬とされた。
このHPのファン(いないってw)ならご存知、元帥海軍大将侯爵東郷平八郎の墓。これもまた特別区画にある。
日露戦争、日本海海戦当時の連合艦隊司令長官。
以下、紹介した以外に訪ねてみた墓を一覧で付しておく。(五十音順)
氏名 |
階位など |
一言 |
阿南 惟幾 |
陸軍大将 |
終戦時の陸軍大臣。「一死大罪を謝す」の言葉とともに敗戦の責任を負って自決。先般ちょっとだけ話題になった阿南中国大使は彼の息子。父が草葉の陰で泣いてるぞ・・・ |
宇垣 纏 |
海軍中将 |
敗戦の責任を取らんとし、終戦直後に部下の特攻機を率いて出撃、死亡。何も終戦の詔勅が出たその夜に出撃しなくても… |
岡田 啓介 |
海軍大将 |
首相。ニ・ニ六事件にて襲撃されるが難を逃れる。終戦工作に尽力。 |
尾崎 秀実 |
社会主義者 |
いわずと知れたゾルゲ事件の首謀者。 |
加藤 建夫 |
陸軍少将 |
飛行第64戦隊、通称「加藤隼戦闘隊」の戦隊長。その太平洋戦争緒戦期の活躍は映画にもなった。歌もあるけど知ってるかな? |
菊池 寛 |
作家 |
「父帰る」等の小説で有名だが、それよりも文藝春秋社の創始者としての印象が強い作家。 |
栗田 健男 |
海軍中将 |
レイテ沖海戦において、謎の反転命令を下す。いろいろという人はいるが… |
小泉 信三 |
慶應義塾大学学長 |
著書に「海軍主計大尉小泉信吉」、「共産主義批判の常識」等。 |
古賀 峯一 |
海軍大将 |
山本五十六の後任の連合艦隊司令長官。乗機が行方不明(海軍乙事件)となり殉死。 |
児玉 源太郎 |
陸軍大将・伯爵 |
日露戦争の満州軍総参謀長。乃木第3軍が攻めあぐねていた203高地を陥落させる。日本陸軍参謀本部を育てたドイツ陸軍メッケル少佐をして「児玉がいる限り日本は勝つ」と言わしめた。 |
西園寺 公望 |
公爵 |
いわずと知れた明治の元老。首相を務めた。 |
西郷 従道 |
侯爵・元帥海軍大将 |
西郷隆盛の弟、海軍大臣、内務大臣を歴任 |
笹井 醇一 |
海軍少佐 |
ラバウルのリヒトホーフェンと言われた海軍の若き撃墜王。昭和17年、ガダルカナル上空で戦死。 |
実松 譲 |
海軍大佐 |
戦後の戦史研究家としての顔が有名。 |
高橋 是清 |
子爵 |
首相、蔵相を歴任。ニ・ニ六事件で落命。 |
塚原 二四三 |
海軍大将 |
井上成美とともに最後の海軍大将へ任官。ただし兵学校は塚原が1期上。漢口で受けた空襲により左腕を切断。 |
東野 英心 |
俳優 |
私にとって水戸の黄門様はこの人。 |
中島 知久平 |
事業家・政治家 |
中島飛行機(今の富士重工)の創業者。戦争中は従業員が10万人を超える一大コンツェルンだった。そしてその墓も大きいこと。 |
平岡 梓 |
農商務官僚 |
三島由紀夫(平岡公威)は言わずと知れた大作家、平岡梓はその父である。墓碑には梓の名が大きく彫られており、公威の名は無い(か小さい)。 |
平賀 譲 |
東大総長・造船工学者 |
戰艦大和の設計者。その業績には功罪、相半ばする。 |
牧野 茂 |
海軍技術大佐 |
海軍の技術(造船)士官。戦後、多くの著作を残した。 |
山下 奉文 |
陸軍大将 |
太平洋戦争の劈頭、マレー作戦を指揮して「マレーの虎」と呼ばれる。戦後、戦犯として処刑される。 |
与謝野 晶子 |
歌人 |
説明はいらんでしょ。墓碑は夫鉄幹と仲良く並んでいる。 |
吉川 英治 |
作家 |
国民的作家、宮本武蔵で有名。昔々読んだが… |
吉田 善吾 |
海軍大将 |
連合艦隊司令長官、海軍大臣。 |
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