廃村
峰
2009年12月27日
日本の首都、東京。都庁のある新宿の雑踏から1時間、中央線に乗るとそこには紛れも無い山村の風景が広がっている。奥多摩の風景はとてもステレオタイプで思い浮かぶ都下とは違い、非常に興味深い。廃村、というキーワードは、何も地方だけのものではなく、東京といえどもそれを免れ得ないのである。今回はその中でも鳩ノ巣の峰へ行ってみた。 |
廃村、というのは何も地方に限った事ではない。東京都下といえど、廃村、あるいは廃集落というものは存在するのだ。もっとも、それはさすがに中心部には無く(ドーナツ化による人口減少は除く)、一部離島地域(八丈島だって父島だって母島だって、硫黄島だって東京都である)を除けば奥多摩地方にその多くが点在しているのだ。
峰、は今の奥多摩町鳩ノ巣の辺り、その立地から林業を主体とした集落、と考えられる。離村時期は昭和47年頃、だそうだ。
峰へ行くには青梅線の鳩ノ巣駅で下りる。白丸の一つ向うが終点の奥多摩だ。青梅線は単線で30分に1本のローカル線(?)だが中々どうしてそこは東京都下。休日は奥多摩を目指すハイカーや登山客で結構混むのである。しかし東京で、岐阜の高山線みたいに「ボタンを押してドアを開ける」方式に出会うとは思わなかったW
峰へは川乗(苔)山を目指して歩く。鳩ノ巣駅西側、川の左岸を道に沿って登っていくのだが、集落内は結構な勾配である。
集落も斜面にへばりついたような格好だ。典型的な山村の風景である。
と思っていたら、モノレール(個人用)が出てきた。もはや徒歩では上り下りが大変なのだろう。
集落内の道を上りきった所で、道は90°左に折れる。登山道の始まりである。
だいたいこんな感じの道を上っていく。冬なので草が枯れてい、容易に道が辿れるが、夏は難しくなるだろう。左側はかなり高い斜面であり、滑落すると命の保障は無い。ここなどは、獣害防けが目的だろうが、ネットが張ってあるだけマシである。
急坂にあえぎながら登ること30分余り、目の前に空き地のようなスペースが現れ、車が止まっているのが見えた。
後日知ったのだが、鳩ノ巣駅横の川の右岸の道を上っていくとダートになり、ここへ至るらしいのだ。
空き地の下、右手に祠があった。下の集落から上って来た勾配は、この辺りで一度平らになる。
祠を過ぎて5分も歩かないうちにこの分岐に出た。道の付き方から本線は直進なので迷わずそちらへ歩いていく。
上写真で見えている看板には峰が標識現在位置から少し戻所にあるように描かれている(家もある)が、間違いである。実際にはもう少し向う(看板の上の方)だ。
事前調査では、鳩ノ巣駅から一時間足らずで到着するとのことだったのだが、全くそれらしい気配がない。
かれこれ一時間は歩いているのに、である。
地図も持っていない(またかよ)ので、山の中への深入りは禁物。この写真をマークとしてUターンした。
帰途、木々の間から黒い大きな影がこちらを見ていることに気づいた、スワ、熊か!?と身の毛のよだつ思いがしたが、幸いニホンカモシカだった。しっかしヤツら、保護されすぎだ。山へ入れば必ず見られるということは、増えすぎているのだろう。ニホンシカよりも余程遭遇確率が高い。
引き返したとはいえ、途中で分岐があったような気がしない。あったとすれば、3枚前の写真の位置だけなので、そこまで戻ってみる。
分岐の右側、獣道然とした方へ入ったとたん、この標識が寝ていた。「峰
部」と書いてあるが、最後の一文字の部分は朽ちて落ちたのだろう。「峰部落」と書いてあったと思われる。
道標ならそれらしく、分岐の所に立っていて欲しいものだ。
これが峰への道、というか、獣道?
もともと道があったが崩れた、というのではなく、始めから道など無かったようだ。
あ!
文明の証、電柱!!
倒れているとはいえ電柱だ。かつてはこの奥まで(或いはここまで)電気が通じていたに違いない。まさかこんな所までとは、恐るべし東京電力。
(同時期の、同じような状況の滋賀県多賀町周辺の廃村では、電気の通じていない村もあったのである。やんぬるかな、関西電力)
左側に、何となく家があったような土台が現れた。あったのだろう。
その右手に祠(?)が現れた。日天神社、と額がかかっていたが、比較的新しいのはまだ人の手が入っている証拠だろう。峰を元住民は捨ててはいないのだ。
祠の手前には水溜め。山の斜面に取り付けたような集落なので、水はこうやって雨水を溜めるか、はたまたずっと下の谷底まで汲みにいかなくてはならない。
そしてこの辺り一帯だけが小さな平地となっていて、それ故に家を建て、集落が存在することができたのだろう。
しかしその家々も、土に還り始めている。この家は、1階が潰れ、その上に2階が乗っている。下は左写真を右から見たところ。
まがりなりにも家らしきものが残っていたのは上の1軒だけである。後はその裏に左写真のような残骸が残っていた。もっともこれは母屋ではなく、離れのようだった。
その他には、家の土台が4〜5軒分(分かりやすかったものだけ)と、それらの家から出たと思われる遺物が屋外に散乱していた。(誰だ、非常識な事をするのは!)
石臼。
釜と薬缶。
レコード!
残念ながら何のレコードかは分からなかったが…。
電灯の笠。この形は街灯として電柱に付いていたか、もしくは玄関にあったのだろう。
そして何と、小型とはいえプロパンである。一体全体あの山道を、どうやって運んで来たのか?いや、担ぐしか無いのだが…。
素朴な山村、それも山間の生活、というのは我々の勝手な思い込みで、電気もガスもそして雨水とはいえ水道もあったのである。レコードも聴くことができたとは、やはり東京。インフラの整備に対する財力が違うのである。
帰りは鳩ノ巣駅までは下りず、登山口を出てしばらくのところで山沿いに東へ、古里駅まで歩くことにした。
ここら辺りはまだ道路(青梅街道)と線路の上だったのだが、やがて小道は青梅街道まで下りてしまい、味気ないものとなった。
鳩ノ巣駅の一つ青梅側、古里駅に到着。
登山口まで下りてからここまで40分だった。
【余話へ】