羽村山口軽便鉄道跡


2009年12月20日
(再挑戦)2010年5月28日
 

 かつて、羽村の多摩川河川敷から山口貯水池(狭山湖)へ向けて資材運搬用の軽便鉄道が走っていた。貯水池の完成とともに軽便鉄道は廃止、撤去されたのだが、一部が自転車専用道路として整備されている。そしてそこには当時の隧道がそのまま使われているらしいのである。

 出張先のホテルで何気に新聞を読んでいると、東京都武蔵村山市に古い隧道が5つ(隣の東大和市を加えると6つ)あり、そのうち4つを自転車道又は遊歩道として整備されているという記事が載っていた。元々は山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)建設用の資材を多摩川から運ぶために引かれた専用線、軽便鉄道の跡らしい。昭和初期に敷設され、大東亜戦争中に廃止、解体された。隧道マニアとしては興味を惹かれる物件でもあるので、行ってみることにした。

 当日は日曜日だったのだが、午前中は仕事。出発は午後、それも遅くからとなった。当然ながら冬の日は短い、急がなければならないのである。


 隧道のある武蔵村山市は、東京で唯一鉄道駅が無い市である。
 直接行くには立川駅から小一時間バスに乗るのが普通なのだが、まだ多摩モノレールの北半分(南半分は数年前に制覇した)に乗ったことが無かったので、乗ってみることにした。

 左写真は北半分の終点、東大和市にある上北台駅。レールが写っている橋台までしかないのが分かるだろうか。

 向うに見える丘陵地帯のその向うには多摩湖がある。



 駅からは新青梅街道をほぼ西へ歩き、武蔵村山市役所を過ぎたところで北、かたくりの湯方面へ。程なく右手に最初の横田トンネルがでてくる。ここまで小一時間。

 「横田トンネル」と書かれている部分はシャッターの収納部であり、夏季は7時〜18時、冬季は17時までしか開いていないらしい。時刻は既に16時、4つの隧道全てを抜けた時点で17時を過ぎ、かつ行き止まりであったならば閉じ込められてしまうので先を急ぐ。



 中へ入る。高さは2m、幅は1.5mくらいだろうか。自転車道(兼遊歩道)として整備されてしまったので、軽便鉄道時代の痕跡を留めるのはサイズのみだ。軽自動車程度の大きさのガソリン機関車(プリムス型 4.5t)が貨物を曳いていたらしい。

 天井の蛍光灯は後日追加されたものだろう。長さは200〜300mくらいか。





 西側から来て二つ目、赤堀トンネルの西側。構え、サイズともに横田トンネルと大差ないが、やや右(南)へ折れている。









 現在の隧道は自転車道。近所のご婦人が音も無く背後から近寄って来たので少々驚く。(クリックで自転車が走ります(笑))



 3つ目、御岳トンネル。




 






 4つ目、赤坂トンネル。
 どの隧道も意匠は全く変らない。











 赤坂トンネル上の枯木。夕日が当たって所々オレンジ色に染まっている。

















 赤坂トンネルを抜けた所で柵。最初の横田トンネルからここまで10分余り。右手は小さな貯水池沿いに集落の方へ戻るようだ。鉄道はそのような急な曲がり方はできないので、本線は直進の未舗装路であろう。








 暗くなりつつある谷間を隧道目指して急ぐ。











 でた、第五トンネルだ。隧道は本来名称がついていないらしく、西側から順に第一〜第六となっているらしい。しかし抗口に鉄パイプで厳重な柵がしてあるので中には入れない。









 中を覗いてみる。遠くに明るい点が見えるので貫通しているようだ。長さは200m〜300mだろうか。
 隧道内部は水没している。水が引くことは無いだろう。









 隧道の向こう側を確認すべく、抗口右手から登り始めたが、余りに足元が悪い(仕事帰りなのでスニーカー)し、それに藪の枝で一張羅の革コートを裂かれてはたまらない(仕事帰りだってば)。そのうえ、そろそろ夜の帳が下りてくる時間なので、地図も持たずに(持っていてもだ)知らない山(藪)に入るのはやっぱり無謀である。
 次の機会があることを願いつつ、本日はこれで撤収とした。




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 翌2010年の5月28日、またもや東京出張があったのでそれを機会に再挑戦してみた。


 とりあえず、最初の横田トンネル。緑が濃くなっているのがわかる。










 これは横田トンネルと道をはさんで反対側(西側)の遊歩道である。これも軽便鉄道の軌道跡だ。










 さて、途中のトンネルはすっ飛ばして第五トンネルへ。これまた緑が濃くなっている。
 抗口の手前は相変わらず泥々のグチャグチャだ。中も覗いてみたが、当然のことながら前回と代わり映えしない。








 前回同様、抗口の右手から登り始める。今回の足元はコンバットブーツで固めて来たので、泥道は平気である。
 左写真は登ってきたところを振り返って撮っている。見難いが、写真の中央にトンネル手前の道が写っている。
 登る時は何となく付いていた獣道然とした道を上がったのだが、こうしてみるとそれすらもあるのかどうか怪しい。






 5分と登らないうちに、上の方になにやら赤い柵が見えてきた。











 登りきって柵を振り返って撮ってみた。やる気があるんだか無いんだかわからない柵ではある(笑)。










 隧道の反対側抗口はあの柵の向こう側なのだが…
(手前は自転車専用道路、白い柵の向うが車道である)










 分かり辛いかもしれないが、柵の上には有刺鉄線が3列。これでは乗り越えることができない(失敗するととても痛い)。その上、フェンスの目は横が短い長方形であり、靴の先が入らないので登ること自体ができない。昔の菱形の目のフェンスなら何とかなったのだろうが、突破しやすいためか最近は余りお目にかかれない。
 ちなみにこの柵の向うは狭山湖である。






 柵の切れ目を探して西へ歩く。
 黒い柵が緑色に変ったところで北へ向かったので、つられて森の中へ入っていく。
 柵の色が変わっても有刺鉄線は無くならない。








 柵は有刺鉄線が途切れることなくそのまま道路の擁壁にあたる。後で地図を見て分かったのだが、この位置で狭山湖の西端を回りこんでしまったらしい。この時はまだそれと気づいていない。地図を持たずに出かけるものだから、暢気なものである。

 擁壁の高さは2m強、登れる高さではないので、仕方なく左へ進む。50mほど行くと地面が徐々にせり上がって路面と同じ高さになったのでそこから脱出。



 狭山湖の西端を回り北岸に出たとはこの時点で気づいてはいず、未だ第五トンネル北側抗口へのアプローチを求めて自転車道を東へ歩く。
 40分ほど歩いて玉湖神社に出てきたところでようやく気づいた。歩いていたのは狭山湖の北岸、多摩湖との間にある道だったのだ。出かける前に作っておいたメモにそう書いてある。こうなっては第五トンネルは対岸であり、今更戻る気もしない。
 そして第六トンネルがこの玉湖神社の足元にあるはずなのだが、やはり有刺鉄線付きのフェンスで入ることはできない。恐るべし東京都、さすが予算は潤沢である。岐阜ではこれほど執拗にする予算は無い。


 結局、狭山湖は回り全体を有刺鉄線で囲まれているようだ。隣の多摩湖も同様だろう。
 仕方が無いので第五、第六トンネルの探索はあきらめ、帰途につく。
 自転車専用道路を更に東へ歩くと、西武ドームが見えてきた。あそこにある西武球場前駅から電車に乗って帰るのだ。






 球場前からはレオライナーで西武遊園地前駅まで。そこからは通常の車両で国分寺まで行き、中央線に乗り換えて帰ってきた。
 レオライナーはくしくも、かつて西武が経営した軽便鉄道を改修し、新たに側方案内軌条式としたものである。しかもレールがなく空気入りゴムタイヤで走る。(クリックするとレオライナーが走ります)

 半日歩いて成果は無かったけれど、レオライナーに乗れたし、まぁ良しとするか。
 


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