日光
2009年12月13日
せっかく東京にいる(長期出張中)のだから日光へは是が非でも行かなくてはならない。いや、目的は東照宮よりも華厳の滝、哲学的自殺を遂げた藤村操のその地をこの目で確かめなくてはならないのである。 |
東京、と云っても投宿しているのは中央線をだいぶ西へ行ったところである。都心を中心に考えると、日光とは逆方向になる訳で、それだけ時間もかかる。しかもケチッて特急急行の類は使わない、その上更に安くなるからと北千住から東武を使ったりするもんだから、片道で3時間以上かかるのである。最も、その分、JRで行くよりも随分と安くなるのだが。
左はその東武の車窓から見えている男体山(たぶん)。
日光駅に着いたら、東照宮は後回しで中禅寺湖行きのバスに乗る。1日フリーパス2000円はちと痛いが、華厳の滝へ行くには他に交通手段も無いので致し方ない。
バスはその巨躯とは全くマッチしないいろは坂の急カーブをあえぎながら登っていく。車窓からは見事な山が見えた。名前は何だろ?(男体山?)
40分ほどで中禅寺湖に到着。渋滞が常の日光では、駅からここまで2時間以上かかるのはざらだそうだ。12月の上旬、紅葉が終わってから初雪までのこの時期が年間で最も人が少ないらしい。他との兼ね合いでのびのびになっていたのだが、いい時に来たもんだ。
中禅寺湖(→)。
昔々、一度空から見たことがあっただけで、ここまで来るのは初めてである。向こうの山は面白い形をしているが、何だろう?
さて、目的である華厳の滝。
中禅寺湖からは、ほぼ直接と言っていいくらい近い位置から一気に落ちている。中禅寺湖が堰止湖である証拠だろう。
滝下の観瀑台へはあの建物からエレベータで 降りていく。ちなみにここの標高は1274m。路肩に雪が残っているが、思いの外寒くは無い。
エレベータで降りる前に、建物の右手にある滝上の観瀑台から。うーん、遠くいがそれでも中々の迫力。落差は97m、こりゃ落ちたら助からんわ。
さて、先ほどの建物からエレベータで下り、滝下の観瀑台へ向かう。エレベータを下りてからも左の通り地下道ぽい所を歩いていく。
エレベータがあって、地下道があって、それで見に行く滝なんて、この世の中に他にあるのか?
地下道から観瀑台へ出て来たところ。右手にある岩肌が面白かったので撮ってみた。何か、モザイクみたいだ。
下から見上げると凄いの何のってもう。
(クリックすると動画が見られます)
実の所、これを見て、那智の滝にも行ってみたくなった(これまた空からしか見たことはないが)。
至る所から水が出てきている。中禅寺湖の湖水が、冷えて固まった溶岩の隙間から染み出ている(というレベルではないが)のだろう。
話によると、この滝の奥にもう一つ滝があるらしいが。
さて、冒頭の藤村操である。
明治36年、一高生(旧制第一高等学校)の藤村操は滝近傍のミズナラの樹皮を削り、そこへ「巌頭之感」という遺書を残して華厳の滝へ飛び込んだのである。その美文調の遺書の内容から哲学的自殺として当時話題になったのだ。
それを今更なぜ見に行きたいと言われても、それはそれ、「曰く不可解」。
内容が内容だけに、当然かもしれないが華厳の滝では特にそれを話題にしての客引きはしていない(というか、今更、藤村操なんて誰も知らないよね)。わずかに観瀑台の売店で左写真の絵葉書が売っているのみである(買っちまったよ)。
絵葉書の写真、左が当時の滝。その右上が藤村操、右が樫に書かれた巌頭之感である。ずっと漢字カタカナかと思っていたが、漢字かなだった。藤村操は当時齢十七、今の高校生には書けない文章である。我々は戦後、これだけのものを失ったのだ。
巌 頭 之 感
(全文) 悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今 五尺の小躯を以て此大をはからむとす。 ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。 |
【余話へ】