東京散策(その3)
2009年9月23日
東京長期出張。決して望んで来た訳ではないがそこはそれ、しっかりお登りさんはしているのである。
またもやいきなりだが(笑)、文京区音羽にある鳩山会館到着。現首相、鳩山由紀夫氏の祖父、一郎氏の邸宅である。
鳩山会館は、もちろん林の奥にあり、手前左の空き家ではない。
アプローチの坂を上がっていくと玄関に到達。その上の塔?の部分には何やら・・・、鳩?? (写真をクリック)
洋風庭園の隅っこに、なぜか狸の置物(笑)
ステンドグラスに鳩
庭にも鳩
屋根にも鳩…
さすが鳩山邸
1Fのテラス。
2Fの、何て言うんだろ?よく舞踏会とかが行われているような感じの部屋。
鳩山一郎婦人の部屋。この時代は洋館ではあっても必ず和室が付いていて、そこで生活をしている。
鳩山会館のある文京区音羽から地下鉄と山手線を乗り継いで、次にやって来たのは御茶ノ水。
御茶ノ水駅は電車の路線が込み入っていることで知られている。写真の通り、左下から中央のトンネルに入っていくのが地下鉄丸ノ内線、中央を走っているのが山手線、写真奥の、神田川を渡っているのが総武線である。
御茶ノ水駅横にある、「喰べかけの檸檬を放った」聖橋。もっと趣のある橋を想像していましたが、なーんだ、コンクリじゃん。
ところで、御茶ノ水駅にやって来た本来の目的はここ、湯島聖堂。本来は孔子廟であり、江戸幕府の昌平坂学問所跡である。
下写真(↓)が孔子の像。
大成殿。黒塗りの重厚な造りだが、様式は支那風。奥には孔子の像が祭られている。
湯島聖堂から再び聖橋を南へ下る。右手にはニコライ大聖堂。このニコライ大聖堂と湯島聖堂をつなぐ橋であることが、聖橋の名前の由来である。
靖国通りを西へ。写真は途中にある九段会館。元の軍人会館で、2.26事件に際してはここに戒厳令司令部が置かれた。
さて、と。本日のメインディッシュ、靖国神社に到着。写真中央、道路上に小さく立っているのは、大村益次郎の像である。
まずは参拝。英霊に合掌。
目的はここ、就遊館。4〜5年ぶりの訪問である。内部は大部分写真撮影がご法度なので、ほとんど写真は無い。
零戦の主翼内に搭載されてる99式20mm機銃。これは弾倉がドラムタイプ(60発装填)の初期型で、銃身が短い。上の52型は銃身が長い(主翼前縁よりも前方に突き出ている)、ベルト給弾式の後期型を搭載している。
先にも述べたが、就遊館内は撮影禁止なのでこれ以上の写真はない。興味のある向きは各自出かけることを是非お勧めする。
さてこの後は、都内各所に点在する小博物館をハシゴした。
市ヶ谷の防衛省裏(?)にあるお札と切手の博物館。財務省印刷局(?)の博物館である。
写真は3億円(だったかな?)と同じ大きさ、重さの束。持って体験してみましょう、というところだ。結構ズシリと重く、これを持って走って逃げるなぞ考えられない(笑)
防衛省の裏をぐるっと回ってその南西にある消防博物館へ。写真は白バイならぬ赤バイである。ホンダの350cc(車種不明)を消防署仕様としたものだ。
前方、エンジンガードの所にサイレンと赤灯、リアキャリア上には消火器が搭載されている。昭和40年代、渋滞ゆえに消防車が到着できない、その間に機動力を生かして先行、初期消火を行うものである。
次は防衛省の南にある新宿歴史博物館へ。新宿区の博物館であり、文字通りかつての新宿での暮らしぶりが展示されていた。写真は江戸時代の新宿、である。
オマケの防衛省。防衛省は、以前は六本木、今の東京ミッドランドのところにあったのだが、10年ほど前にここ市ヶ谷(元々陸上自衛隊東部方面総監部があった)へ移転してきた。
さてここからは電車に乗って渋谷へ移動、たばこと塩の博物館へ。
2、3度前を通り過ぎてようやくそれと気付いた博物館入口。どう見てもカフェにしか見えない。というか、博物館付属のカフェだった。専売公社も民営化してだいぶ変わったのだろう。せっかく渋谷にあることだし。
江戸時代の煙草屋。店先で葉を刻み、調合(?)している。当時紙巻煙草はない(はず)なので、煙管用だろう。
暗いので手ブレをおこしてしまったがわかるかなぁ。戦争中の煙草、鵬翼(左上)、光(右上)、誉(左下)、朝日(右下)である。確か誉(ほまれ)は高級煙草だったはずだ。
同じく戦争中の煙草、忠勇(右から読んで下さいね)。時代を感じるなぁ。ただしこれはパッケージではなく看板である。
たばこと塩の博物館なので塩の展示もあったのだが、特に写真を撮るほどのものでもなかったのでそっちは割愛。但し、家へのお土産に「死海の塩」を買って帰りました。
という訳で博物館を7つハシゴして、充実した1日でした。
【余話へ】