江戸東京博物館 何故この博物館を知ったのか全く憶えていないが(間違いなく歳である)、興味を惹かれたのは事実である。なので何時迄も憶えていたのであろう。 【余話へ】
2008年12月17日
東京出張の用件が早く終わったので予てからの懸案事項、「国会図書館で『国会丼』を食べる」を実行しようと思ったのだが、生憎と月に一度の休館日…。代わりにもう一つの懸案事項、江戸東京博物館見学を実行した。
江戸東京博物館は両国駅から徒歩2、3分。
入場料は常設展が600円、+特別展で1440円(高…)だったが、常設展のみを選択(資金難だったのだ…)。
以下、特に興味を惹いた展示を紹介してみる。
向こう側にあるエスカレータが入口である。この時点で既に3階、展示は5階と6階だそうである。
エスカレータ内部にはこんな絵が。ちょっとレトロかな。しかし、私はこの手の画風に弱いのである。
館内へ入るとまず日本橋を渡る。
橋の上からは芝居小屋中村座(右写真)と
朝野新聞社が見下ろせる。
中村座はともかく、朝野新聞の造りには弱いのである。
これは江戸時代のお産の風景。何故、お産の展示なのかは謎であるが…。
中央が産婆、奥が産婦。江戸時代は座ったままお産をしたようで。
右端には大五郎がいます。
纏を持ってみた。よく時代劇で、火事になると屋根の上で振っているあれである。テレビでは軽々と振っているように見えるが、実物は重い。15kgあるそうである。
左は三井越後屋(三越)、右は両国橋袂の賑わいを再現したジオラマである。何でも、両国橋近辺は江戸一番の繁華街だったそうである。
さて、時代は下ってここからは東京である。
これは昭和の家だが、懐かしい。昔はこんな風だったのである。
しかし、鴨居は低い。左程背の高くない私でも頭をぶつけそうになるほどである。これが明治時代の家屋だと間違いなくそこかしこでぶつける事になるのだが、その間、日本人の平均身長が高くなった証拠であろう。
これは銀座に置かれていた日本で最初の公衆電話ボックス(レプリカ)。右から「自動電話」と書いてある。
勿論であるが、電話機にダイアルは無い。右側にあるクランクをグルグル回して交換を呼び出し、相手先につないでもらうのである。この方式は昭和50年代まで残っていた。日本中がダイアルインでつながるのは、平成になる少し前の話である。
使い方を解説しておくと、左にある金色の棒を耳にあて(スピーカ)、中央の金色の丸いもの(マイク)に向かって喋るのである。マイクは私の胸の辺りにあり、「昔の人は背が低かった」ことをここでも実感した。
で、BOXを出ようとして鴨居に頭をぶつけたのはお約束である。
しかし、街頭でBOXにこもって一人で喋っている風景は、見慣れるまではさぞや滑稽なものだったあろう。携帯電話が普及し始めた頃、独り言を喋りながら歩いている人がいると思って驚いた事が何度もあるが、同じようなものだろう。
これは凌雲閣の模型である。浅草にあって、関東大震災で半壊、その後解体されたそうである。また、日本で最初のエレベータがあったとか。
高い建物好きの私としては、現在これが残っていたら登りに行ったであろうことは想像に難くない。
午後遅くに入館して、何時の間にやら閉館時間となっていた。急ぎ足で見たつもりだったのだが、展示内容が豊富であり、じっくり見ていると半日はかかりそうである。特別展などとても見ている余裕は無く、チケットを買わなくて正解だったようである。