那須ツーリング(その1)戦争博物館

2009年11月1日


 出張先の東京へハヤブサを持ち込んだので、当然ながらツーリングへ出発。行先は那須、御用邸のあるところだが目的はそこではなく、もっとマニアっぽい所である(笑)

 ご禁制を犯して、せっかくハヤブサを出張先の東京まで持ち込んだのでツーリングへ行きたい。それも電車では行きにくいところへ。

 という訳で、今いるホテルからは少々遠いが、前々から気になっていた那須(栃木県)の戦争博物館へ行ってみることにした。そのスジのマニアの間では有名な、B級(?)博物館である。

 ホテルからは概ね北東、荒川を越えて浦和を抜け、R4に入れば後は一本道である。出発が朝早かったこともあって渋滞も無く、大して迷いもせずにR4へオンコース。昔々、北海道へ行くときに通ったR4だが、今では片側3車線の豪快な直線をもつバイパスができており、しかも信号が少ない。まるでハヤブサのために誂えたような道であった(だが、覆面が多いとの話を後で聞いた)。


 戦争博物館へは昼前に到着。左はハヤブサでやって来た証拠写真である。

















 戦争博物館の看板。「戰」と「爭」が旧字であるところが、これから先を暗示するようで泣ける(笑)。実はこの博物館、公共(やそれに準じる)のものではなく、個人の収集品を展示しているのだ。











 駐車場には、廃車と共に軽飛行機の残骸が放置されていた。機種。計器板の防錆塗装が日本(とロシア)独特の青竹色だが、米国製のセスナ172であろう。




 










 赤錆の塊にしか見えないが、れっきとした帝国陸軍の九七式中戦車の残骸。「太平洋最大の激戰地サイパン島より帰還」と看板にあるが、実は三浦半島の海岸から出土(?)したものらしい。大東亜戦争末期、帝国陸軍が戦車を固定砲台として使うために埋めたものらしいのである。
 このような解説のデタラメぶりはこの後も頻出するが、B級のB級たる所以でもあるので、いちいち指摘はしながらも笑って済ませることにしよう(笑)






 これは「昭和17年、日本軍と交戰中の中國軍(八路軍?それとも中共軍?)が米國軍の技術指導により手作りのジープ(原文ママ)」とある。そんなものが本当に存在するとしたら相当レアだが、それ以前にどうやって入手したのだろう?










 「一式陸上攻撃機の発動機(エンジン)、火星二型、2080馬力、18気筒」とある。
 が、だ。火星エンジンに二型は存在しない(そもそもそのような型の命名方法を採っていない)し、馬力も1800馬力クラスだ。その上、火星は14気筒であって18気筒ではない。
 現物を数えたら18気筒あったので火星でないことは確かだが、さりとて国産唯一の空冷18気筒、誉にしては直径が大きいような気がする。一体何のエンジンだろう?






 「零式艦上攻撃機32号 エンヂン 中島製(サカエ)」とあるが、そのような飛行機は存在しない(爆)
「零式艦上戦闘機32」なら存在するが。それでもプロペラは3枚羽根であって、4枚ではない。というか、このプロペラ、明らかに木で適当に作ったものを付けてる(笑)
 ちなみにこっちのエンジンは14気筒、栄も14気筒なのでいちおう辻褄は合っている。







 博物館に隣接する、経営者の家(多分)。玄関の両脇に展示されているのは自衛隊で練習機として使われたT−34の主翼と思われる(中に胴体だけのT−34があった)。これだけは飛行機マニアとして、ちょっとうらやましかったなぁ?










 これは日露戦争で使われた口径28サンチの攻城砲。おおお、こんなものまで!と思ったが、模造品だった。












 さて、と。駐車場の散策はこれくらいにして(笑)、ようやく中へ入ってみることにする。写真中央には出来心(?)でやって来たものの、ちょっとアレな雰囲気(笑)に入場を躊躇するカップルが写っている。






 
 

 入場料は1000円。安くはないが、まぁいいだろう。それより問題(?)は入場券(右写真)である。腕組みをしているのはかの有名な零戦の撃墜王、坂井三郎氏である。肖像権はいいのか?
(って、それを写真に撮ってホームページに載せてるオイラの行為もどうよ?)



 入って最初に目に付く展示物がこれ。「軍艦 海防艦 志賀の艦首」である。順番に指摘すると、海防艦は海軍の分類上、「艦艇」ではあっても「軍艦」ではない(細かい話はくだくだしいので省く)。従って、艦首に付いている十六菊の紋章(写真に写っている丸いもの。天皇家の紋章である)は後で勝手につけられたものだろう。十六菊の紋章は、軍艦にだけつけることが許されているのだ。

 ちなみに、「志賀」という名の海防艦も聞き覚えがなかったのでちょっと調べたのだが、実在していた。いや、実在していたどころの話ではなくて、大東亜戦争を生き残り、戦後は海上保安庁の巡視船こじま として使われていた。そしてその後、驚くべきことに千葉市の海洋公民館として使われていたようなのである。平成10年の解体後、艦首部分だけがここに引き取られたらしい。
 帝国海軍の軍艦、艦艇として製造されたものとしては唯一の船だったのに、解体されてしまうとは!笹川良一氏健在なりせば必ずや船の科学館に引き取られたであろうに。惜しいことをしたものである。
(船の科学館に展示されている元南極観測船「宗谷」も帝国海軍艦艇だったが、これは貨物船からの転用である)



 T−34の胴体部分。主翼が先ほどの玄関先に展示されていたものである。しかしこれ、かなり汚い。あまつさえ後部風防が破れ、コックピットの中でつる草が繁殖している。しかも日の丸は後で塗装し直したものであろう、絶対にこの位置ではない。










 満州事変で活躍した90年式改良戦車・・・、絶対うそ。そのような命名法は存在しない(名づけるなら90式(重、中、あるいは軽)戦車であって、90年式という言い方はその年式では無い)。
 いや、それ以前にこんな形の帝国陸軍戦車を私は知らない。

(後日談:映画用に考証無しで製作されたハリボテらしい。それにしてもまことしやかに「昭和六年満州事変が始まり当時に製作した改良型でエンジンはいすずのジーゼル云々」と解説しているのはどういう了見だ?)





 B−29のエンジン、ライトR3350となっているが、眉ツバ。銘板を探したが、故意に?か外されている。ちなみにRGB上についている黒い箱はジェネレータだが、GE(ジェネラルエレクトリック)のマークがついていた。GEはその名称から電気メーカーの印象があるが、その実態は地味だが結構手広くやっている重工業である。我国でいうと日立のような守備範囲の会社だろうか。








 零戦の最初期のエンジン、とあるが勿論間違いである。零戦の最初期のエンジンは三菱製の瑞星(後に中島製の栄となる)、14気筒複列である。このエンジンは単列9気筒、全くつじつまが合っていない。
 ちょっと調べれば分かりそうなものなのにと思うが、おかげでこうやってツッコミを楽しむことができる(笑)








 陸軍戦闘機、と解説文にうたってあるが、その実、昔合衆国陸軍で使われていたボーイング・ステアマン ケイデットである。元々は複葉なのだが、なぜか上の主翼が取外されている。
 日本には1機だけ輸入されているようなので、その機体だと思うのだが。









 展示は屋外だけでなく、屋内にもある。陸軍館と海軍館に分かれているのだが、陸軍館から入ってみることにする。
 
 左がその展示内容の一部。軍服、小物の装備品、及び機銃・小銃等の展示がほとんどで私としては余り興味を惹くものは無かった。それなりの知識があれば屋外展示同様、ツッコミドコロ満載なのだろうが、残念である(?)。







 右は展示されていたプロペラもどきの数々。まことしやかな解説があったが、ほとんど間違っている。特に中央の銀色4枚プロペラなぞ、「四式戦闘機 疾風のもの」と解説されていたが、そもそも直径がまるっきり違う上に、固定ピッチである。本物は直径約3m、可変ピッチ機構は日本では珍しいフランス製ラチェの改良型、電気式だ。





 さて、陸軍館を出て海軍館へ入る前に。ショーウィンドウの中に飛行機のプラモデルが飾ってあるようなないような。ひっくり返っていたり、あさっての方向を向いていたり。やる気が全く見えない(笑)。










 同じくホコリをかぶったままのヘルメットが展示されていた。こちらは幸い、ひっくり返ったりしてはいなかったが、このショーケースは何だ?肉屋でよく見たような??




 海軍館の内部も陸軍館と同様、軍服の展示が主。ただ、こちら
には、下のように海軍艦艇のプラモデル(1/700、ウォーターラ
インシリーズ)が赤絨毯の上に鎮座していた(状態が決してよくないのはご愛嬌ということでw)
















 そして、恐らく博物館側が目玉と考えている展示、1/50(?)スケール軍艦大和である。映画用(?)として製作されたものを展示しているらしく、ディテールはしっかりしている。が、それゆえにホコリまみれでかつ所々壊れているのが悲しい。
 手前は菊水一号作戦で大和に同道した軽巡矢矧、をデフォルメして訳がわからなくなってしまったもの。舷側に「ヤハギ」と書いてあるのでそのつもりなのだろうと分かるが、そうでなければ何のことやら。というか、そもそも軽巡は舷側に艦名を入れたりしない、入れるのは駆逐艦だ。その上、当時は横書きは右からだぞw





 さて。
 私が考える当博物館の目玉は、これだ。グアム島の洞穴から出てきた横井庄一さんの蝋人形、しかも片手がとれちまった(笑)
(写真をクリックすると横井さんがアップになります)











 右はご自分の蝋人形と対面された横井さんの写真。この時点ではまだ人形の右手はあったようだ。



 最後に。
 ゆっくり、存分に楽しみながら2時間ほどかけて見学終了。この戦争博物館、個人経営なのだがよくこれだけ集めたものだと思う。惜しむらくは、手入れと考証がもっとしっかりしていればなぁ。マニアの間では高名な物件であるし、誰かボランティアで行かないか?


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