佐久間レールパーク

2009年10月18日


 ハヤブサでの上京のついで、途上にある佐久間レールパークへ行ってみた。

 9月から東京長期出張。我社では公共交通機関又は社用車以外での出張はご法度なのだが、そうは云っても3月末までの東京住まいは余りにも長い。何がしかオモチャが無いと暇で暇でしょうがないのである。
 
 と云う訳で、立場上いささかまずいのだが、出張先へハヤブサを持ち込むことにした。勿論、内緒である。

 実は前日の17日、航空自衛隊浜松基地で米空軍の曲技飛行チームであるサンダーバーズが展示飛行を行う予定であった。なのでそれを堪能した後にその夜は浜松で投宿、翌日にレールパークを見学して東京へ移動する計画だったのだが、生憎と17日はピンポイントで曇時々雨。その様な天候では曲技飛行もあったものではないので、宿はキャンセルして18日の朝出発としたのである(結局、サンダーバーズは多少飛んだらしいが・・・)。

 云い忘れたが、佐久間レールパークとはJR飯田線中部天竜駅構内にある鉄道博物館である。私は特に鉄分が濃い訳ではないが、平成21年11月1日で閉園になる(展示物は名古屋金城埠頭に建設中のJR東海博物館に移動する)との噂を聞きつけ、東京への道すがらでもあるし行ってみることにしたのだ。


 岐阜からは下道で3時間半、とてもじゃないがハヤブサが走ってよい道ではない(KDXなら?)R473を抜けて、1030頃に佐久間レールパークへ到着。レールパークへは駅構内への入場料140円だけ入ることができる。閉園が間近いということもあって、この日は山間僻地の駅とは思えない大盛況。切符売り場に行列ができていた。
 改札を抜けて隣がレールパーク、写真の建物の1Fに屋内展示物がある。規模の小ささがわかるだろう、って、なぜこんな所に博物館なんか造ったんだろう?





 こちらは古い列車の車内。そういえば昔の電車ってこういう風に木製だったなぁ。











 

 電車本体よりもむしろ銘板が気になる(笑)。このED11は米国のジェネラル・エレクトリック社製だ。DATEに”OCTOBER 1922”(大正11年!)と書いてある。こりゃまた古い。


 こっちの車両は川崎車輌、現在の川崎重工業製である。川崎造船、川崎航空機、川崎車輌の3つが合併して川崎重工業になったのが昭和44年なので、それ以前のものであろう。











 これは形が面白かったので・・・
 モハ52004形というらしい。












 建築限界測定車。白いまだらに塗られた棒(1本1本長さが違う)は、走行中は立てられており、線路沿いにある障害物に触れると倒れる仕組みである。このようにして、線路と障害物の距離を測ったのだ。
 非常にアナログチックであるが、面白い。私ぁ、エレキに頼らないこういう手法は好きである。












 秘境駅として名高い、飯田線小和田駅の看板。回りに人家はおろか道すらないという駅である。一度行ってみようと思いながら果たせていない。
 









 実は小和田駅、雅子妃殿下(旧姓?小和田(おわだ))にちなんで「花嫁号」なる特別列車を走らせていたらしい。今でも駅舎には鐘が残っているとか・・・。



 建物の中に切符の入札に使っていた鋏(?)が展示してあった。
 といっても、若い読者には何のことか分からないだろう。昔々、切符は硬券(硬い厚紙)でできていて、改札を通るときに駅員がいちいちこの鋏で切れ込みを入れていた(使用済みの印)のである。しかもその切れ込みは駅によって形が違うので、どの駅で乗ったのかが一目瞭然だったのだ。
 私ぁ、エレキに頼らないこういう手法は・・・(以下同じ)。







 という訳で、最後にアリバイ工作みたいな集合写真をパチリ。












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