平等院と琵琶湖疏水

2008年12月20日


 会社のCBR氏にそそのかされ、京都平等院へ行ってきた。そのついで(私にとっては本命)に琵琶湖疏水にまつわる諸々も見学。明治の土木事業というものは、全く大したものである。時代の意気込みが感じられて、好きだ。しかも美しい。

 全く今年(2008年)の冬は暖かい。クリスマスも近いというのに汗ばむ陽気、ならばツーリングである。

 実はこの夏、撮った写真をパノラマ合成できるデジカメを某オークションで買った。それに目をつけたCBR氏が「ならば是非、平等院を撮るべきだ」とのたまうが、なに、自分が行きたいだけである。
 私は私で最近水路に萌えているので、是非蹴上(けあげ)の琵琶湖疏水を見てみたい。

 平等院と蹴上ならば近いので話はとんとん拍子にまとまり、天候次第と云う条件付で行くことにした。オマケにGSX−R氏付きである。

 当日は朝方こそ肌寒かったものの快晴、午後からは歩いていると汗ばむほどの陽気であった。
 岐阜からはR21、R8、R1とつないで南下。途中、近江八幡辺りの慢性渋滞に閉口しつつ瀬田東から京滋バイパスで宇治東IC、3時間弱で平等院到着。

 とりあえずCBR氏の為に平等院鳳凰堂を撮影。10円玉の模様であることはご存知の通り。

 

 私はそれよりも庭園内の榎に生えたヒコバエが気になって…。

 それにしてもいい天気である。
 気温は高いが高空の偏西風は常の冬と変わらず強いのであろう、雲が全て吹き飛ばされている。








 平等院見学はそそくさと済ませ、宇治から30分程の蹴上にある琵琶湖疏水記念館へ。

 写真の右手、木に隠れているのが疏水記念館である。正面に見えているのは京都市動物園、その手前の池は下側の舟溜である。そして、手前の川みたいなものが琵琶湖疏水。

 琵琶湖疏水は明治時代に造られた、琵琶湖の湖水を京都市内まで運ぶための水路で、発電、上水道等に今でも使われている。






 蹴上の坂を琵琶湖疏水に沿って登って行くと、疏水の京都側出口がある。
 琵琶湖で荷物を乗せた舟がこのトンネルを通って京都側へやってきた訳であるが、地図で分かる通り、短い距離ではない。当時、中に電灯は無かったのか、どのような灯りを頼りに舟を漕いだのか、興味は尽きない。

 右手にはゆかりのものと思古めかしい煉瓦造りも見える。



 


        振り返って、これが上側の舟溜である。








 車輪の付いた白い台車の上に舟が乗っているのが分かると思う。

 蹴上の辺りは勾配が激しい(故に落差を利用した水力発電が可能なのであるが)ので、このように舟を台車に乗せ、インクライン(傾斜索道)で結んでいたのである。


 
 これは上側の舟溜から京都市内を見下ろした風景である。京都大学や下鴨神社の方向を向いているはずであるが、定かではない。
 インクラインのレールは電車のものよりも相当に広い。








 トンネルから出た疏水の一部は、蹴上の麓にある南禅寺境内を通って行く。
 
 これがその水路閣である。

 









 それにしても明治時代の煉瓦造りは趣があって好きである。来シーズンは煉瓦の街で売り出している舞鶴へでも行ってみようかと思う。


 ついでに水路の上も覗いてみた。写真は立入禁止の柵から手だけを入れて撮影したものである。
 

 実はこの水路閣、南禅寺山門の正面を塞ぐように建っている。今ならさしずめ景観が、とか色々とややこしいことになったのだろうなぁと思っていたが、当時もやはりなったようである。





 これはインクラインの下を通っているねじりまんぽ。











 トンネル内部の煉瓦がねじれている。
 トンネルが上のインクラインと直交していないため、荷重に耐えるにはねじる(ように見える)しかないのである。



さて、蹴上側の琵琶湖疏水見学はここで終り、次は大津側の疏水入口見学である。


 またもや30分くらいかけて移動、ここがその入口である。
 結構大きく、穴の高さは2〜3mありそうである。写真ではよくわからないが、山の中へ疏水が入っていくので、見ていると変な感じがする。高い所へ水が流れていくような錯覚をおこすのである。







 
 こうして水路に萌えた一日も終り、再び3時間近くかけて帰宅。到着は19時近かったが、日が落ちても気温は左程下がらず、走り易い一日であった。


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