河口湖自動車博物館


2010年8月11日
 

 自動車博物館、だが見に行ったのは零戦と一式陸攻。8月限定の一般公開である。

 この前河口湖自動車博物館に来たのはいつだったか、とにかく学生の頃である。当時はまだ自動車のついでにF−104(屋外展示)や三式戦闘機 飛燕(現在は鹿児島知覧で展示中)などが展示されているだけであった。

 それがいつの間にか別館として飛行館ができ、毎年8月のみだが一般公開がされ、零戦が2機も展示されているという。そのうえ一式陸攻も復元中のものが展示されているとあっては、行かない訳にはいかないのである。
 とはいえ、岐阜から山梨は遠い。しかも、河口湖は山梨とはいっても甲府の東、いっそ東京からの方が近いのである。

 で、だ。運良く毎度の東京出張(笑)。帰りに中央線を使うことにして、行ってみることにした。

 中央線を大月から富士急に乗り換え、終点の河口湖駅からは別荘を巡回する無料バスに乗って博物館まで。駐車場のC−47や屋根の上のF−104は昔から変らず、である。








 さっきのF−104を乗せていたのは自動車館で、こっちが飛行館である。













 まずは零戦21型。詳細な来歴は不明だが、博物館がレストアしたもののようだ。

















 復元のディテイルはともかく、塗装は復元機とは全く関係がない。ハワイ空襲当時の第一航空戦隊一番艦、即ち赤城の戦闘機隊隊長、板谷茂少佐搭乗機を模している。















 こちらは五二型。二一型は集合排気管、五二型は単排気管である。

















 五二型も塗装の真偽は定かではない。南洋の島々を転戦した豹部隊の塗装となっている。

















 さて、今回のもう一つの目的、一式陸攻である。
 といっても、展示されているのは胴体を部分的に復元中のものであり、全体像は模型からつかんで欲しい。ご覧のとおり双発(1000馬力級×2)の攻撃機である。













 これがその復元中の一式陸攻である。と、さらっと言ってはいるが、実は一式陸攻の実物を見るのは初めてで興奮している。というか、一式陸攻の実機は世界でもここだけしか存在しないのでは?


後部胴体は南洋諸島から回収したものを復元、前部胴体などは製作する予定だそうだ。


胴体の日の丸。内側に円形のラインが見えているが、これが機内へ搭乗する際のハッチである。軍用機であるがゆえ、珍しいと思い載せてみた。

ちなみに、今回一式陸攻を調べていて珍しい写真を見つけたのでリンクを貼っておく。敵弾をかいくぐり、まさに魚雷を放たんとする3機が写っているが、両端の機体の高度に注目である。恐らく、10mない。速度は100kt(180km/h)以上は出ていると思うが、このような低高度の保持については現代でもそうであるように、全くの「カン」である。まさにその技量に脱帽するより他はない。



 飛行館には他にも多くの展示があったが、そう興味を惹かれるものは無かったので紹介は略。ついでに自動車館も見ていくことにする(別料金なのでちょっと痛いが)。


 これはフェラーリF50(だったか?)のノーズの部分である。正面の開口部に、縦にラジエターが付いていると思いきや、













 フロント上部の開口部の中に寝かせてある。正面の開口部から風を取り入れ、上面から排出、その風路にラジエターを置いてあるのだ。正面面積を小さくするためとはいえ、なかなか思いつく手法では無いと思う。













 ダットサン、フェアレディ。まだZではない。2000cc、145馬力、最大速度200km/h越えだそうだ。
 あぁ、こんなオープンのツーシーターに一度でいいから乗ってみたいなぁ・・・。













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