海上自衛隊鹿屋資料館と知覧特攻平和記念館


2005年9月9日〜10日
 

  鹿児島出張が金曜午前までであったので、一泊を自腹で追加し、金曜日の午後は鹿屋資料館、土曜日には知覧の平和記念館へ行ってきた。残念ながらともに館内撮影禁止であり、余り写真は無い。

 海上自衛隊鹿屋資料館。
 実は20年以上前、まだ学生の頃に四国・九州一周ツーリングで訪れているのである(マシンはGSX250E4)。
 ただ、当時からは建物も新しくなり、展示品も追加されている。そして何より、当時の記憶が全く無い(笑)ので、出張のついでに改めて行って見る事にしたのである。
 
 館内は撮影禁止。

 唯一の例外が、この零式艦上戦闘機52型丙である。錦江湾から引き上げられ、海自鹿屋基地で復元されたものだ。

 館内展示で面白かったのは、P−2J実機の胴体をカットし、中に入れるようにしているものである。
 非常に狭く、暗いキャビン。その中で時には酸素マスクを口にして(与圧が無いせいである)、10時間以上の哨戒飛行に従事していたのである。決して大昔の話ではない、平成に入ってからもそうだったのである。




 一方、屋外展示は無論のこと撮影禁止ではない。

 これはP2V−7。XP−1から数えると3代前の機体であるが、昭和50年代まで現役であった。
 エンジンはレシプロのライトサイクロン+ターボジェットという混合動力である。
 非常にノーズヘビー(機首上げが重い)の機体であったと聞いている。





 これはP2V−7に日本の川崎重工が独自の改造を施した名機、P−2Jである。
 主翼以外はエンジンを含めてほぼ全面改設計と云って良い。その点ではロッキードP−2Jではなく、川崎P−2Jである(現にコントロールホイール中心に取り付けられるマークはロッキードのものではなく、川崎のマークが付いている)。
 この機体は#4783、83機製造(うち1機はP2V−7からの改造)した中の最終号機である。その一つ前、#4782は岐阜の各務原航空宇宙博物館に展示されている。






 帝國海軍の二式大型飛行艇、通称二式大艇。
 戦利品として米国へ持ち去られたものが、故笹川良一氏らの尽力により日本へ返還、長らく東京品川の船の博物館に展示されていたものである。
 移転後日が浅いせいか状態は良好なようだが、今後はわからない。是非、良いコンディションのままで残して欲しいと願うばかりである。







 鹿屋の最後に、資料館の碑。
 揮毫は地元選出の代議士、二階堂進氏である。

 あと、他にもヘリなどの展示があったのだが(碑の後にもHSS2BとKV−107が写っている)、残念ながら割愛させて頂く。
(今よく見れば、後のバートルはよくある救難機ではなく、機雷掃海機だ…)





 9日の夜は鹿児島市内に宿を取ってあるので、鹿屋からはバスで垂水まで移動である。


 垂水からは鹿児島鴨池港までフェリーである。

 鴨池港では何やら撮影をしていたが、それが映画「海猿」のロケである事を知ったのは翌朝の新聞でであった…。







 鹿児島へは水曜日(木曜日だっけ?)の夜に移動したのであるが、その時は台風の余波がまだ収まりきっていなかった。が、金曜日のそれも午後になるとすっかり穏やかな天候になっていたのである。右写真はフェリー船上から見た開聞岳。



 こちらは桜島。
 
 天気が良いように見えるが、結局のところ、良かったのは私が遊んでいた金曜の午後から土曜日の夕方までである。普段の行いが良いと、天も我に味方するのである。





 
 鹿児島での夜は省く(笑)。鹿児島中央駅前の安宿に泊ったのと、居酒屋で生ビールを注文したら無かった(ビンはあった。どうやら鹿児島では焼酎が主であり、生ビールというものは存在しないらしい。酒に弱い私には焼酎は無理である)くらいである。翌朝は早いので、夜更かしせずに寝る。

 鹿児島市内から知覧へは、鹿児島中央駅前バス停からバスに乗って2時間程の行程である。それにしても鹿児島はバス網が発達していて、しかも安い。感覚的に、岐阜の1/2〜2/3の運賃である。ついでに言わせてもらうと、名鉄電車も高い。関西や関東の私鉄の、これまた感覚的に3割〜5割高である。しかも、路線はどんどん減っていく。

 無駄話はさておき、知覧である。

 有名な、富屋食堂である。当時、軍用食堂として指定されていたので特攻隊員が多く通ったらしい。中にはゆかりの展示がある。
 
 云い忘れたが、知覧は帝國陸軍の基地である。ここから多くの特攻機が飛び立って行ったのは事実であるが、特攻は知覧からのみ出撃したわけではない。

 ちなみに、鹿屋は帝國海軍の基地である。我が敬愛する安永少尉(死闘の水偵隊(朝日ソノラマ文庫)の著者)は、最後の空を鹿屋で、彩雲とともに戦っていたのだ。


 朝日ソノラマ文庫の「死闘の水偵隊」は絶版になっているが、「サムライ索敵機敵空母見ゆ!−予科練パイロット3300時間の死闘」と改題されて光人社から出版されている。偵察機の物語であり、従って派手な戦闘シーンなどはないのだが、逆に、それ故に人間にスポットがあたることになり(恐らく著者は意識して書いてはいないと思う)、非常に面白い。地味ではあるが、お勧め。必読の一冊である。



 知覧特攻平和記念館正門の写真のみで手を抜いて、お茶を濁しておこうとしているのではない。例によって館内撮影禁止なのである。展示物は関連するHP等を参照されたい。

 ただ、米国から返還され、嵐山美術館に展示されていた(当時見に行った)四式戦疾風と、三式戦飛燕が展示されていたが、塗装などの考証がなされていなく、興醒めであった。



 
 知覧からの帰りはまたもやバス、鹿児島空港直行便である。バス待ちの間、余りにも暑いので鹿児島名物(?)掌大のビニール袋入りのカキ氷¥30をコンビニで買って食べる。これがまた、美味いのである。暑い時もよいが、酒を飲んだ後の酔い覚ましとしても格別である。

 

 鹿児島空港に着いた頃から天候が悪化してきた。
 ボーイング737−500に乗ったのだが、座席はお決まり、左舷側(陸側)の主翼後方である。この位置が、景色も主翼の動きも見えて良いのである。

 737のナセルを見ると、フィン(前方に1枚、後方に2枚)、ボルテックスジェネレータ(3個)が見える。
 元々737のこの辺りの設計は空力的に苦しいのであり、数々のフィンとボルジェネがそれを物語っている。





 これは主翼上面に並んだボルジェネ。ボルジェネの後方からスジが出ているが、効いている証拠である。
 この日は雲が多く、主翼上面が濡れているため、こういうことが分かるのである。













 更に拡大。

 しかし本当は、主翼上面に余分なものを付けたくは無いのだが。
 旅客機の場合は、割と平気でこういうことをする。












蒼空の記録へ