ホハレ峠から門入、戸入へ ついにホハレ、そして門入、戸入へ。 【余話2014へ】
2014年5月31日
まずは地図を見て欲しい。
中心にある徳山湖は、ダムによってできた人造湖であり、その下には徳山村一つがまるごと沈んでいるのである。
しかしながら、徳山村の西端奥、門入(黒谷の少し上辺り。ちなみに地図の戸入は位置が間違っている)は全没を免れ、一部は今でも、恐らく冬季以外に限ってと思われるが定住している人もいるようだ。
とはいえ、地図を見れば分かるように、ダム側からは道が付いていない。湖の奥にある門入集落へは、湖上をフェリーでゆくか、西側の坂内村からホハレ峠越えで黒谷へ下るか(勿論徒歩)の二つしかない。フェリーは公共工事専用らしく、一般人は乗れない。となると、門入の住人も含めて、そこへはホハレ越えでしか行く手立ては無いのである。
今回の言いだしっぺはやはりリターンライダーKDX氏である(笑)。まぁ、もともと言い出したのは私でもあるし、双方の都合をつけて5月最終日にアタックとした。計画ではホハレ峠から門入を越えて戸入まで、往復9時間である。少し長すぎるのでテント前泊も考えたが、早朝出発とすることにした。お互いに妻子あり、そうそう自由のきかない身である。
いきなりホハレ峠、お地蔵さんの前である。
前夜は早目に寝て4時起床、早朝と言う事もあってか、家からここまで約1時間。まずはお地蔵さんに道中の安全を祈願。
ホハレ峠の位置だが、地図の左下、坂内広瀬とある左に道があると思うが、その終点(実際には終点ではない)から北へ1kmくらいのところである。地図上で道が切れているのは新ホハレの位置(と思われる)であり、そこからは後述する黒谷第一砂防ダムまで、廃道と呼ぶにはあまりにも激しい道が続いているらしい。(国土地理院2万5千分の1には今でもそちらが点線で示されている)
お地蔵さんの向かい、黒谷側を見下ろす。急傾斜、なんてものではない。かつてはここにトラロープが張ってあったらしいが、いまは急とはいえ階段が付いている。ダムができて、徳山側からの出入りができなくなってから、先祖伝来のこの道が整備されつつあるらしい。
という訳で、06:20、降下開始である。急勾配をぐんぐんと下っていく。
先人の踏み分けた跡があるものの、基本は獣道と大差ない。朝露にぬれた草が踏み跡に覆いかぶさっていて、それを分けてすすむのだが、腰から下がすぐにぐしょ濡れである。同行のKDX氏は、と振り向くと、利口なかれは下にカッパを着込んでいる。このような藪歩きは、昆虫採集で十分鍛えた彼の方が一枚上手のようだ。
山の端に朝霧、かな?
このような道を進むので、朝露で濡れるのが理解してもらえると思う。
06:55、降下開始から35分経過したところで獣道が黒谷の川にあたって消える。このまま左岸を進むのか、はたまた川を渡渉して右岸を行くのか迷ったが、左岸には行く道らしきものが見えないので対岸へ渡る。結果的には正解だった。
07:00、途中で小さい砂防ダムが現れた。ろくな道も無いのに、どうやって造ったのだろう。
小さい砂防ダムから5分とかからず、前方に大きな砂防ダムが現れた。あれが黒谷第一砂防ダムである。この先へ行くには、ダムを右か左かで迷ったのだが、左は地形的に解が無さそうだったので右へ。
ちなみに急勾配はこの辺りまでで終わっている。
ダムの右へ回り込むが、手前の川を渡る良い位置が見つからない。仕方が無いので適当な所で強引に渡る。ちなみに、新ホハレ峠から分岐した道は、この上、100mくらいの高さの所を通っているらしい。
砂防ダムを右へ回り込むと、ようやく轍(といっても軽自動車サイズだが)のある林道へ出る。この辺までは車が来ているらしい。
道端にはホンダのCRM50(と思われる)が放置。競技用モデルでヘッドライトもウインカーも付いていないが、こんなところでは関係ないだろう。
07:10、有名(?)なバイク小屋へ到達。中にはナンバーが付いたままのヤマハのメイト(但し動くとは思われない)、小屋の周りには見えているのも含めて自転車が2台。確かにあれば便利だわなぁ。
来た方向を振り返る。いい天気でよかったぁ。
07:40、降下開始から1時間20分、ついに門入へ到達した。向こうに家が見える。
見えていたのはこの家、作業小屋みたいだ。これくらいの大きさ(家も敷地も)の別荘が欲しいなぁ。
北を望む。奥の方に作業小屋が見える。その辺りが徳山小学校門入分校のあったところらしいが、今は何も無い。
集落の入口、小高いところにある東屋。門入八幡神社跡と石碑があった。帰りにも東屋へ寄ったら、その下にテントが一張り。GW中にはテント泊の人も結構来るらしい。
東屋の後ろにあった門入集落家並図。
今いるのは左の方にある八幡神社のところ。やって来た(ホハレ峠の方向)のは左、沈下橋から下の方である。
徳山は村ごとダムに沈んだ訳だが、集落ごとにこのような石碑と東屋を建てている。ダム湖畔の周回道路にもそれは見られる。
東屋の東側にあった建物。家の方は門入の人々が帰省した時の集会所兼宿泊所として建てられたようだ。手前の屋根は、キャンプ場によくある炊事場。蛇口はあったが「この水は飲めません」と貼り紙、そしてひねっても水は出なかった。キャンプの時は、川の水を飲むしかないか。湧き水だと、だいぶ気分が違うのだけどね。
門入の、川の流れ。30分ほど休憩&その辺をうろうろしてから次の目標、戸入の水没地点へ向かう。
門入の村はずれにあった小屋。これは完全に別荘チックだ。土日山荘とあった。
門入から40分、徳山湖の湖面が見えてきた。
更に15分、ロックシェッドが見えてきた。シェッドの中には自転車が放置されている。だれかの移動用だろう。ここまでに自転車や原付が何台か放置されているのをみたが、全て鍵がかかっていた。盗まれるわけでもないだろうが、さりとてアテにしていた場所から移動していると困るのは容易に想像できる。
シェッドの中にあった非常に大きなスズメバチの巣。スズメバチの巣は薬や縁起物として高く売れるそうで、同行のKDX氏と何とか持って帰れないかなどど馬鹿話をしながら通り過ぎる。
ここから先は徳山ダム工事専用道路、の看板。裏(画像をクリック)には、ここから先は町道立石谷〜甚酌線、の看板。ということは、揖斐川町はこの、ダム湖の向こうに孤立した道を普請しているのか!なんともはや、である。
湖面がだいぶ近づいてきた。
ゲートを越える(何故かゲートがあった)と、分岐があった。左が戸入への道、右が湖面への道(町道の水没地点)であろうと見当をつけ、まずは右へ進む。
あそこだ!あそこが町道の水没地点。時刻は09:20、峠から3時間である。
・・・ん?軽トラの下に何か???
軽トラの下に犬。さらに、写ってはいないが荷台にももう一匹。飼い主はどこへやら、辺りには人っ子一人見当たらない。ちなみに軽トラの車種は三菱のミニキャブ、旧規格のサイズなので小さい。
あの水没地点で水にタッチして帰りたかったのだが、この犬、近づくととてつもなく激しく吼える。しまいには噛み付きそうな雰囲気もかもし出してきたので、水際でのタッチは断念。少し手前で実行して戻って来た。
さて、分岐まで戻って戸入方面へ。
えんえんと舗装路を歩き、戸入集落跡に到着したのが10:10。ホハレから3時間50分である。
やってきたのは画面奥から。そしてここも門入とおなじく神社跡である。
東屋の下に原付が見えているが、こいつは廃車、部品も取れていた。
東屋の先、道はぐるっと回り込んで湖面に到達、そこで全て終りである。折り良く、フェリーが停泊しているのでそこまで行ってみることにする。
フェリーの名はとくまる。
乗組員は3名、ダンプ2台くらいが縦に乗る長さだ。工事関係者専用(実際この後ダンプを乗せて出航していった)だそうで、今日は2往復とのこと。
(後日調べてみると、このフェリーに乗って徳山ダムを周回するというツアーが時々あるみたい)
せっかくなので中を見せてもらいたかったが言い出せず、今となっては後の祭りである。
東屋に戻る。門入と同じく、集落家並図があった。
やや早い(まだ10:30頃)が、東屋で昼食。持参したのはカップ無しのカップめん。好日山荘とかの山道具屋で売っている。ゴミが出ないのがいいのだろう。試しに買ってみたのだが、当然味は変わらない、てゆうか、カップが無いのに値段が倍ってどういうことよ?(笑)
お湯はKDX氏のバーナーで沸かした。5分どころか2、3分で沸いてしまうのにびっくり。自分の中華製バーナー
with
SATOのガスボンベ(*)では考えられない火力の強さである。コッヘルも普通サイズのサトウのご飯は入らないし、買い替えかなぁ・・・。
(*:とりあえず言い訳をしておくが、SATOのガスボンベを使うバーナーは普通に好日山荘で売っている。ボンベが専用品ではないので、行きがけのコンビニで購入できる手軽さが売りである。勿論、本格的に山をやる人は避けた方がいいのかもしれない)
ホハレ峠(左地図の旗のところ)から延々と歩いた結果がこれ(クリックで拡大)。東経136°26′23″ 北緯35°41′02″が最終到達地点。ここより東に道は無い(今のところは。その先を作っている様子が無きにしも非ず)。この辺りがどれほどの山かは、こちらで確認。
帰りは来た道をひたすら戻る。
舗装路の途中から足裏が痛くなってきた。帰ってから見ると、マメができかかっていた。上野アメ横の中田商店で購入した愛用のコンバットブーツは裏ゴムが柔らかく、舗装路には向かないらしい。
砂防ダムを過ぎて少し行ったところだったか、左手の笹薮がザワとそよいで黒いものが逃げて行ったのを見た。大きさ?熊にしか見えなかったが(汗)
その後、藪の中から妙なうなり声(今もって何の声かは不明)がしたが、わざと音を立てながら(熊鈴全開!)足早に歩く。
写真は最後の登り、あと少し!
15:30、無事生還。お地蔵様に感謝。休憩を入れて9時間10分は予定通り。実質的な上り下りはここから門入集落まで、往復合わせて3時間に満たないとはいえ、よく歩けたもんだ。
それにしても門入の風景は美しかった。2、3年後には、テントもって滞在できるくらい山スキルを上げようと決意したのであった(笑)