檜原村(その4)−藤原


2012年1月15日
 

 東京のチベット、奥多摩。本気でそう思っていた、檜原村を知るまでは。

【地図:檜原村藤原

 

 藤原へは地図の下の方、神社記号のすぐ左にある建物の裏から上って行く。














 ちなみに、その建物と言うのは檜原村立藤倉(*)小学校、もちろん今では廃校なのだが、分校ではないというところが驚きである。
(*:藤原にあるが藤倉小学校。藤原の「藤」と隣の集落である倉掛の「倉」を合わせたものらしい)

 その上、校庭で青いブルーシートをかぶっているのは軽自動車なのだが、なぜここにあることができるのか全く分からない。なぜなら、校庭に至る道は、とてもじゃないが自動車が通れる幅は無いからだ。






 地図@の家。庭にある蛇口からは、凍結(水道管の破裂)防止のため、極く少量の水を流し続けているのだが、それが下に雪だるまのような形で凍っている。














 地図Aの位置にある家々。道からは斜面の上になるので、ぼんやり歩いていると見過ごしてしまうかもしれない。写真は斜面を上って撮ったもの。家の裏、前、ともに急傾斜なのが分かるだろうか。












 更に山奥へ。
 道は登山道同然なのだが、なぜかコンクリート舗装。ここは生活道路?













 あ、向こうの尾根に何か赤い屋根。















 最後の上りがちょっとキツい。















 地図のBの家に到着、バス停からここまで30分。
 この家は旧小林家といい、国重要文化財だそうだ。建てられたのは18世紀前半というから、江戸中期である。標高は700mだそうだ。












 家屋の横には先祖代々の墓。間違いなく土葬だと思う。















 庭から見た風景。18世紀からずっと同じなのだろうか。












 地図では、ここから東斜面を降りる道沿いと、少し上の斜面の沢又にも何かあるようだが、時間切れで行けなかった。仕方がないので次回(あるのか?)の楽しみに取っておくことにする。





 更に奥へ。舗装は小林家のすぐ裏で途切れ、この先はずっと未舗装(あたりまえか)である。だがしかし、東京電力の電柱はしっかりと立っている。













 またもや墓を発見。次の家は近いか?















 と思ったら、あっさりと発見。
 これが地図のC、最奥の家。旧田倉家と言うらしい。地図では4軒の家が見えるが、建っていたのはこの1軒のみ。ちなみに右側の斜面に見えている青いものは獣除けのネット、その内側は畑である。恐らく先祖代々こうやって自給自足の生活だったのだろう。もっとも、家自体は立て替えられた新しいものである上、何かの団体の山の家みたいに使われているようだ。バス停からここまで40分くらい。








 庭から見た風景。唯々山深いとしか言いようが無い。幽谷は無いが、深山を分け入るというのはこういうことか。














 家の裏、少しだけ下りると樹齢500年と言われる大杉。その根元には水が湧き出ている。あまり綺麗ではなかったが、これはこれで貴重な水だったのだろう。














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