防衛省見学ツアー


2012年2月14日
 

 並居る官庁の中でも一際お堅い感じのする(?)防衛省だが、実は見学ツアーが存在するのだ。勿論仕事中の庁舎の中には入れない(入ってもつまらないと思うけどね、机があるだけだから)が、旧東部方面総監室のあった市ヶ谷記念館に行ってみたかったのだ(理由は後述)。

ところが、ツアーはお役所らしく平日のみ、加えて事前予約制だ。
それでも過去何とか時間を作り予約をしたのだが、全てドタキャン。実は今回が3度目の正直なのだ。




中央線四ッ谷駅を下りて外堀通りを北、雪印のビルを左に曲がると正面に見えてくるのが防衛省。
遊びで来るのは初めてだったりする。以前の庁舎は六本木、今の東京ミッドタウンの場所にあったのだが、十数年前に市ヶ谷へ越してきたのだ。で、市ヶ谷には何があったかというと、陸上自衛隊東部方面総監部、戦前は陸軍省があったのだ。




ツアーは午前の部と午後の部があり、少しだけ内容が違う。
午前の部は記念館+屋外ヘリ展示場見学だが、午後の部はヘリの代わりに広報展示室の見学となる。
いまさら陸自のヘリをみせてもらってもしょうがないので、午後の部を予約した(時間的に午前の部が無理だったのもある)




午後の部の見学は13:30〜15:40。
以降、庁舎敷地内については上の写真を参考にして下さい。ちなみに、2枚上の写真で正面に見えているのはE棟。




まずは庁舎A棟前、儀杖広場前でA、B、C棟の説明を受ける。
防衛大臣や陸海空幕僚監部の入っているのがA棟、あとは割愛。
説明してくれたのは専門のアテンド、写真左下にこっそり写っている赤いコートを着たお姉さんである。




儀杖広場にあるポールの向こう、ピンボケになってしまったが(今回は愛用のA70不調のため、リリーフでoptio E50を使用。不慣れなためピンボケが多い。許されよ)、田中土建工業の社屋。
田中土建工業って? かの田中角栄が興した会社である。




A棟の正面、日本庭園の中にあった石灯篭。
戦時中、ここらへんの地下には地下壕があって、そのための通気筒をカモフラージュしたものだ。
現在はほぼ埋められて無くなっているという説明だったが、きっと別のところに新しい地下施設を掘っているに違いないと睨んでいる。そうするのが当たり前だからだ。




ついにやってきた市ヶ谷記念館、旧の陸上自衛隊 東部方面総監部庁舎の一部を移築したものである。
で、なぜここに行きたかったかと言うとだ。
正面のバルコニー、あれこそがかつて、三島由紀夫が激を飛ばした舞台なのだ。
そして、割腹自殺を遂げたのが東部方面総監室なのである。
(写真をクリックすると東部方面総監室に展示してある庁舎全体の模型が見られます)









東部方面総監室内。
逆行なので真っ暗になってしまったが、向こう側の窓の外に見えているのが、三島が演説を行ったバルコニー。
そしてここが三島が割腹した場所である。足元は、その時と同じ赤い色の絨毯。大量の血が染み込んでいるのに気付かず部屋に踏み込むと、「じゅくっ」と靴が沈んだらしい。




隣室との境にある扉だが、分かるだろうか?写真中央に刀傷。
三島由紀夫が、隣の部屋から様子をのぞいた自衛官に切りつけた跡だそうだ。




東部方面総監部庁舎が陸軍省庁舎であったことは先に述べた通りだが、同時に、東京裁判が行われた場所でもあるのだ。
写真が暗くて申し訳ないが、左手が裁判官の居並んでいた場所、右手が被告人席である。
今立っているのは記者席、左側が外国人記者、右が日本人記者席である。
ここで東条英機をはじめとする大日本帝国首脳が裁かれたのだ。




市ヶ谷記念館の最後。玄関に展示されていた、庁舎が六本木にあった時代の看板。
左の木製のは、中曽根康弘元首相の揮毫だそうだ。
(たぶん防衛庁長官時代の揮毫だから、首相になるずっと前。青年将校と呼ばれていた頃だと思う。なんせ、本物の海軍主計少佐だったからね。短現だけど)





市ヶ谷記念館の次は広報展示室。
そこにあった技術研究本部で研究中の先進技術実証機、「心神」の模型。
初めて見るのだが、意外と翼面積が大きかった。
あと、T−2/F−1並みに後方視界が悪そうだな、さすがM菱。
排気口はお約束のパドルによるベクタードスラストになっている。




こちらは海上自衛隊航空機模型集。





庁舎全景の模型。市ヶ谷記念館は左端、ちょっと切れてる。



この後、厚生棟(売店なんかがある)に寄って、解散。
わりあいと楽しいツアーでしたよ。機会があったら行ってみればどうでしょう?


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