大井川鐵道
2011年10月23日
 

 以前から乗ってみたかった大井川鐵道の蒸気機関車。東京出張の行き帰り、途中下車で行ってみようと思っていたのだが、ここしばらくは土砂崩れで不通、バスでの代替輸送がなされていた。しかしようやくそれも復旧したようなので、何とか時間を合わせて行ってみた。

 東京出張の帰り、金谷(静岡県)で途中下車して大井川鐵道に乗ってみることにした。目的は蒸気機関車(SLという言い方は好きではない。少年時代にそのような乗り物は存在しなかった)と、アプト式鉄道(後述)である。
 ちょうどいい時間の切符の予約が取れるかどうか危ぶんでいたのだが、幸いにも10月は紅葉前で旅客が少ないようで簡単に取れた。1日で金谷〜(蒸気機関車)〜千頭〜(アプト式)〜井川と行って戻ってくるためには、解は1便しかないのだ。

 東京駅を6:33発のこだまに乗車、静岡で在来線に乗り換えて左写真の金谷駅に着いたのは8時半頃。




 ただ井川まで行って戻ってくるだけだが、フリー切符を買った方が微妙に安い。上がそのフリー切符で新金谷〜井川で乗り降り自由。新金谷⇒千頭が通常列車の運行区間で、千頭⇒井川がアプト式鉄道となる。
 下の切符は蒸気機関車の特急券。ダイヤとしては普通列車よりも時間がかかるが、「特急」である。









 9:14発の新金谷行き列車が入って来たところ。大井川鐵道は金谷駅が始発だが、蒸気機関車は新金谷駅が起点である。

 大井川鐵道は、経費節減のため自社車両を持たないとは聞いていたが、塗装も他社のまんまとは!
ちなみにこれは南海電車(たぶん)、社章もそのまま付いていた。
色塗り替えて、他社の社章を外すくらいはしたらいいのに。






金谷から新金谷まではすぐだが、お目当ての蒸気機関車、特急「かわね11号」の発射時刻9:57まではまだ間がある。
新金谷でしばし待ちだが、観光客向けにしつらえられたロコプラザ(小さい蒸気機関車等の展示、兼、土産物屋)を軽く見学した後は、新金谷駅のターミナルを見物。上左写真はは阪急電車、右は何と近鉄特急。
もちろん阪急や近鉄が新金谷まで走っている訳ではなく、大井川鐵道の車両である。



大井川鐵道が何両の蒸気機関車を保有しているのか知らないが、とりあえず見つけたのはC12 164(左)、C56 44(右)。いずれも動態。



そうこうしているうちに、もう一両やってきた。
どうやらあれに乗る(正確には引っ張ってもらう)らしい。




やって来たのはC10 8。昭和5年、川崎車両(現 川崎重工業)製である。現存する唯一のC10であるらしい。



左が運転士座席位置から前方を見たところ。左の丸窓を通して前を見る、というよりほとんど見えない。
右は運転席内部。中央下の丸い部分が釜の蓋。ここを開けて石炭をくべる。



薪。いきなり石炭では火もつかないので、焚きつけ用だろう。
その上、小さなショベルのあるところが石炭の取り出し口。C10では、石炭車を連結するのではなく、機関車に石炭庫が付いている。




客車も古いものをそのまま(汚さもそのままw)使っている。
蒸気機関車は当然だが煤煙を吐きながら走るので、手や顔が煤で黒くなる。そのために洗面台があるのだろう。
ちなみに、JRの駅のホームに洗面台があったりするのも同じ理由だろう。




「降りる方は列車が停まってから鍵を開けてください」
客車の扉。「鍵」と言っているが、ただの閂。列車が停まらなくても開いていしまうのだ。もちろん扉は内開きなので、その辺は考えてあるようだ。










 窓の下の小テーブル、の更に下にある灰皿。見えにくいがちゃんとJNR(Japan National Railway、国鉄)のロゴが入っている。思い起こせば昭和60年頃まで、国鉄では都市近郊線以外は車内喫煙可だった。
 テーブルの下にある小さい金具、部分的に赤いペンキが残ってるものは栓抜きである。








 車窓からの風景。列車は大井川を遡上していくのだが、天気は余り良くない。












 とりあえずの走行風景。












 11:11、終点千頭駅到着。ここまで1時間余りの旅だった。













 千頭からはアプトラインに乗り換え。軌道の幅が違うので、相互乗入れはできない。アプトラインは森林鉄道サイズとやらで、ずいぶん幅が狭い。










 狭いのは幅だけでなく、天井も低い。左写真でわかるように、出入口の高さは何とか確保されているが、車内床面はそれよりも30cm〜50cm高くなっている。なので、筆者(174cm)では、車内ではやや猫背で歩くことになる。










 連結部。客車間の移動はできない。
 おかげで、酔っ払いのオヤジ集団と完全に別車両とすることができた。五月蝿いのは、嫌いだ。











 車内はご覧の通り、狭くて低いのだ。幅は2m、ないと思う。
 出発は1136。












 だいたいこんな感じで隧道に出たり入ったり。ここでは右が大井川、左は山側。











 所々で眼下に茶畑。さすが茶所静岡、である。この辺りだと川根茶だろうか。












 アプトいちしろ駅で最後尾に電気機関車を増結する。ここから長島ダム駅の間が急勾配のためだ。また、この区間が、日本で唯一のアプト式となっている。











 これがアプト式。レールの間に歯の付いた三列のレール(上写真でもレールの間に見えている)が見えるが、機関車側についている歯車にこれを噛み合わせることによって、急坂でも滑らずに上っていくことができるのだ。










 長島ダム。













 長島ダム駅から上ってきた軌道を振り返ってみる。なるほど、なかなか急であるように見える。勾配は90‰、1000メートル進んで90メートル上る勾配だそうだが、角度に直せば5°強。

 なお、アプトいちしろ駅で連結した電気機関車は、ここで切り離す。切り離された機関車はもとのいちしろ駅へバックしていく。








 長島ダムによってできた接岨湖(せっそこ)の上を列車は走る。
 右手の半島部にあるのが奥大井湖上駅。












 左手を見る。
 かつて、井川線はもっと低いところを通っていたのだが、長島ダムの建設によって川根市代〜川根長島間が湖底に沈み、代わって付け替えられたのが現在の路線である。
 写真中央、湖面の上に旧の路線が見えている。その前後は隧道だ。







 秘境駅として有名な尾盛駅。某秘境駅のサイトでは3位にランキングされている(筆者は、ランキング2位の小和田駅にも行ったことがある。ちなみに1位は小幌駅だが、これは北海道にあるのでおいそれとは行けない)。
 この尾盛駅周辺に民家は全く無く、ここへ至る道も存在しない。山中にただ駅があるのみである。
 ダム建設の補償で建てられたとかで、元々集落があった訳ではないようだ。ダムの建設が終わった後では、(物好き以外で)利用する客もほぼ皆無だろう。
 ちなみに、写真に写っている小屋は駅舎ではなく、物置だそうだ。




 1324、終点の井川駅到着。ここまで千頭から約2時間。20分後の1346には折り返しの列車が出発する。












 終点井川駅から更に線路は続いている。
 実は井川の先にもう一つ、堂平という駅があったようなのだが、井川ダム建設の終了と共に、昭和46年に廃止となっている。











井川駅舎と(すごく簡単な)時刻表。筆者が乗ってきたのは1日4便のうちの第3便だ。
(黄色の帯が着時間、青い帯が発時間)
これが第4便となると、まともな時間には家まで帰りつけない。
(帰りつけないんだっけ?忘れた)





 さて、戻りますか。













 1346に井川駅を出て、1537千頭駅到着。ここで1時間半ほど列車待ち(ヒマだった。だって何も無いんだもん。そーいや、温泉があったか?)。
 1654に千頭から出発したのは近鉄特急(笑)。金谷に着いたのが1807で、辺りはすっかり暗くなっていましたとさ(左写真)。

 この後、掛川からこだまに乗って、岐阜駅に着いたのは2020。東京の宿の最寄り駅を出発したのが0536なので、15時間(−1.5時間、千頭での待ち)列車に乗りっぱなしでした。



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