モトGP観戦記
2011年10月2日
東日本大震災の影響で、4月に予定されていたツインリンクもてぎでのモトGPが10月になった。ちょうと出張スケジュールとマッチしたし、一度は生でレースを見てみたかったので少々高いが行ってみることにした。 |
長年バイクに乗っているが、実は生でレースを見たことがない。混雑が嫌いなこと(往年の鈴鹿8耐の観戦人数ときたら、そりゃあもう)と、自身の指向がレースには(あまり)ないことが理由だ(でもテレビで見るのは好き)。
二輪レースの最高峰、モトGPはここ数年続けて日本でも開催されており、しかもそのサーキットは栃木県にあるツインリンクもてぎだ。
栃木なら長期出張中である東京からは近いし(と思う)、しかも元々4月末開催の予定が東日本大震災の影響で10月に延期となり、たまさか出張の日付とマッチしたのである。せっかくなので行ってみたいと思ったのだが、何せチケットが高い。日帰りバスツアーなら自力で行くより気楽だし割安なのだが、それでも自由席で13500円、A席だと20500円だ。懐具合を勘案して悩んだが、結局、これを逃せば一生行く機会はないなと思い直し、清水の舞台から飛び降りるつもりでA席(メインストレートの上段。サーキット全体がほぼ見渡せる)を購入することにした。
と、ようやくここまで決心したのが予選の始まる2日前。 東京駅発のツアーをネットで申し込もうとしたところ、既に満席。どーするよ?
見ていると、ツアーの発着は東京駅だけではなく、大宮駅、横浜駅などからも出ているではないか。しかも値段は変わらない。今いるホテルからそれらまでは電車で1時間弱、それなら特にどうと言う事もない(寝ていればいいのだ)ので、あまり行ったことがないから見てみたい、という理由で大宮発着を購入。
集合時間の8時少し前、大宮駅に到着。天候は曇、肌寒い。
集合場所のそごう前には、年齢高め(自分もだ)の方々がチラホラ。どうやら満員には程遠いようだ。まぁ、チケット高いもんなぁ。学生には無理だろうなぁ。でも、もっと安くして若者を呼ばないと、バイクの未来は無いぞ。
三々五々集まってきた人々は、みな何となくバイクウェアやそれっぽい格好をしている。ハーレー乗りの格好をした中年夫婦もいたが、これはしかし、何でハーレー?
とか言っている自分も、仕事へ行く格好なので浮いているのだが。
もてぎへは2時間半余りで到着。駐車場にはバイクが多数並ぶ。
3クラスあるレースのうち、一番早い125ccクラスの決勝は12時から。まだ1時間余り時間があるので、それまではもてぎ内にあるホンダコレクションホールの見学をすることにする。
(ツインリンクもてぎはホンダの系列だ)
実は、コレクションホールにはグッズを買いに入っただけで、展示物があるとは知らなかった。
ホールには、主として歴代のホンダの二輪、四輪が展示されていたのである。
左は、6気筒エンジンをもつCBX。単に「CBX」と言った場合は、この1000ccマシンを指す。
国産6気筒エンジンは、CBXとカワサキのKZ1300だけだ。それにしてもこのCBX、さすがにエンジン幅がでかい。カブのすねカバーみたいだ。
何でも、エンジンをよく見せるために、ダブルクレードルのエンジン前側のフレームの無い設計としたそうだ。にしても細いバックボーンだけで、フレームはよれたりしないのか?
なぜかホンダ以外のバイクも展示されている。これはスズキのRG−Γ250、しかも1983年に出たT型。業界初のレーサーレプリカ、加えて250cc最強の45馬力は、このクラスの馬力自主規制値となった。
ガンマを追って、ホンダからはMVX、NS、NSRが発売され、ヤマハからはTZR、カワサキからはKR250が発売されたのである。あぁ、懐かしい(笑)
これがそのNS250R(左)とNSR250R(右)。ホンダマニアではないので年式は分からないが、どちらも恐らく初期の型だと思う。NSは発売期間が短かったのでそれほどでもないが、NSRは当時よく走っていた。
さすがホンダコレクションホール、これがここにあったとは。バイク史上、唯一にして無二のオーバル(楕円)ピストンを持つNRである。限定300台生産、750ccで77馬力は当時の自主規制値に合わせたものだ。
こちらは市販車ではなく、レーサーのNR500。ストリップになっているのでエンジンがVツインであることが分かる。2スト全盛の80年代、4ストのNRでは如何ともしがたく、その戦績に特筆すべきものは無い。
小さいとわかりにくいので、大きな写真で。
NRの楕円ピストンである。1気筒あたり8バルブ(!)、ツインプラグである。
当時のホンダのエース、フレディ・スペンサーのNS500、かな? 自信ない。
スペンサーのNSR500。このロスマンズホンダのレプリカマシン、よく街を走っていたなぁ。
ちなみにスペンサーは83、85年の500ccチャンピオン。
ハブステアのelf、パワーユニットはNS(かNSR)のものを使っていた、実験的意味合いの濃いレーサー。ロン・ハスラムが走っていた。
そういえばハスラム、実力のわりに、マシンに恵まれなかったなあ。
1987年のチャンピオン、ワイン・ガードナーのNSR500。そういえば昔々、まだガードナーがチャンピオンを取る前、浜松のクシタニのサイン会でサインをもらったはずだが、どこにいったんだろう?
エディ・ローソンのNSR。ローソンは84、86、88年にヤマハでチャンピオンを獲ったのだが、1年おきにしか勝てるマシンを造らないヤマハに業を煮やし、89年はホンダに移籍。そしてその年、チャンピオンとなった。乗るメーカーを変えて連続でチャンピオンとなったのは、ローソンとモトGPとなってからのバレンティーノ・ロッシだけである。
しかしローソン、強かったなぁ。転倒しないんだな、彼は。着実に確実に表彰台に上がってくる、そして気付いたらシーズン終盤にはチャンピオンになっている。
バレンティーノ・ロッシのNSR。2011年、最後の2スト500cc時代のチャンピオンマシン。翌年からマシンは4ストとなる。
そしてなぜここにあるのか分からない(貸し出し中かな?)が、76、77年のチャンピオン、スズキのバリー・シーンのマシン、RG500!
憧れのバリー・シーンのマシンが見られるなんて、来てみてよかったなぁ。
特別展示。
死闘を繰り広げていた頃のフレディ・スペンサー(#1、ホンダNS)とエディ・ローソン(#4、ヤマハYZR)のマシン。
車の展示もいろいろとあったのだが、一つだけ。
往年のF−1マシン、RA272。ホンダが初優勝したマシンだそうだ。
さて、いよいよ入場。
場内はとりあえずこんな感じ。人が多くも無く、少なくもなく。それなりににぎやかだが、人ごみが嫌になるほどでもない。
レースの合間に覗きにくるのにちょうどいい。
(上右)リズラスズキのブース (下左)ロッシ選手のブース (下右)中野選手のブース
展示されていたbimota DB8。
ちょっと頑張れば買えない値段ではない。ハヤブサの次はこれ、と思わないでもないが(笑)。
でもこれで雨の中を走ったり、泊りの長距離ツーリングはないな。
とするとこれは観賞用?盆栽バイク??
これはDB8のネイキッドタイプ。
こっちは、最近のこのクラスの定番デザインを踏襲していて、あまりそそらない。
これならスズキのGSR750の方がいいなぁ。
ブリジストンのブースでしゃべっていた宮城光選手。
往年のモリワキ、ホンダのレーサー。紅顔の美少年だったがいつの間にやら中年になってる、って、自分もか(笑)
表彰台でのシャンペンシャワー。 テレビで見るのと違って、後の屏風(?)が舞台セット風で笑えるw
最後に。
記念に公式パンフレットを買った、1500円。
本当はTシャツが欲しかったのだが、ピンとくるものがなかったので。
それにしてもこのパンフ、記念だと思ったから買ったけど、値段なりの値打ちはない。
もう少し考えないとダメだなぁ(苦笑)
入場料も高いし、このままだと日本のバイク業界の未来は暗いかもしれない。
(楽しかったけどね)
《付 記 1》
スズキがモトGPからの撤退を表明した。
来年からレギュレーションが1000cc(今年は800cc)になるのだが、マシンの供給は800ccのまま、
ワークスとしての活動も行わないという。
2014年を目処に再挑戦するそうだが、スズキマニアとしてはその間寂しい限りである。
3シーズン後、本当に復帰してくれることを祈っている。
(一旦活動を停止すると、マシンはできてもライダーの確保が難しいんだよな。いでよ、第二のシュワンツ!)
《付 記 2》
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「先週末、もてぎで2輪のMotoGPが開催されたが、ライダーのホルヘ・ロレンソは、日本ではシャワーを浴びずにミネラルウォーターと石鹸で体を洗ったと述べており、ダニ・ペドロサは、日本で着た服はすべて捨てて帰ったということだ。」
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