横浜


2010年2月27日
 

 いろいろと見ておきたいもの、行っておきたい所があったので横浜港へ。東京へ来て2回目かな?

 いろいろと見ておきたいもの、行っておきたいところがあったので横浜港へ。


 まずは三菱みなとみらい技術館へやって来た。三菱重工が製造しているもの、製造してきたものを展示してある。まずは飛行機から。左写真にはYS−11やら零式観測機、HSS−2Bが見える。

 右写真手前は局地戦闘機雷電、百式司令部偵察機、四式重爆飛龍が見える。

 三菱重工の博物館なので三菱製の機体ばかりなのは当然だな。







 三菱重工は飛行機だけではなく船も造っている(というか、こっちが本家)。左は空母隼鷹(じゅんよう)、建造途中の商船を改装したものだ。開戦直後に竣工、その後多くの海戦を戦い、終戦まで生き残った殊勲艦だ。

 右は戦艦武蔵、シブヤン海に沈んだ大和型戦艦の二番艦である。当時、一番艦(ネームシップという)は海軍工廠(海軍の工場だな)で建造、二番艦以降は民間の造船所で建造、というのが一般的だった。武蔵は今もある三菱長崎造船所で建造されたのだ。








 ちょっと暗いが、これはH−U及びUAロケットに搭載されるエンジン、LE−7とLE−7A。だがまてよ、これらはIHIの製品じゃなかったっけ?










 スペースプレーン、日本語では宇宙往還機と云われている機体の模型である。スペースシャトルみないなものだが、あちらがロケットにぶら下がって打ち上げられるのに対して、こっちは普通の飛行機のように水平に離陸する。まだどの国でも実現したわけではないので、概念模型だな。機体容積のほとんどは水素燃料、マッハ25くらいで飛行する。

 で、ここにいた解説のオヤジ(三菱のOBだろう)がうるさい(笑)。懇切丁寧にいろいろ解説してくれるのだが、それくらい知ってるよ。オレ、その計算してたもん(笑)





 潜水調査船、しんかい6500の模型。船名通り深海6500mまで潜れるのだ。
 面白いのは、外板は外形を整えているだけで、耐圧とはなっていないこと。分かりにくいが、水圧に耐えているのは左写真の船首部、球形の搭乗区画だけで、あとは海水に暴露されている。なるほど、こうすりゃ設計も製造も楽だわ。
 ちなみに日本でこの類を製造できるのは、三菱重工と川崎重工だけである。IHIも日立造船も日本鋼管も真似できない特殊技術である。ちなみにその応用が宇宙ステーション、共通項は「密閉、与圧」である。



 日本人宇宙飛行士のコーナー。宇宙飛行士もかつてとは異なり、確立されたエンベロープの真ん中を、飛行そのものとは関係の無い任務で飛ぶだけだ。
 彼ら…(以下自主規制)









みなとみらい技術館の次は、帆船日本丸の見学。と思ったら(↓)ガーン!! 2月いっぱい休館じゃ〜ん!! トホホ…

 客の少ない時期に手入れするんだろうなぁ。それにしても1ヶ月は長いよなぁ。3月になったらまたこなきゃ。










 泣く泣く次の目的地、大桟橋まで「汽車道」というところを通って行く。かつては汽車が通っていた、その跡らしい。何やら向こうに凱旋門みたいな建物が見える。










 凱旋門みたいに見えたのはナビオス横浜、汽車道をまたいで建っている。
 ちなみに、ナビオス横浜というのは、昔でいうところの船員会館、船員専門の宿泊施設だ(船員厚生協会の経営)。
 一般の人は知らないだろうが、船員は船員手帳を所持し、船員厚生協会の施設が割安で利用できるのだ(なぜそんなことを知っているのかは次回w)。
 つまり、行く先々の港々で宿泊先に困らないようにである。









 更に歩いていくと、大桟橋の手前(というか対岸)に赤レンガの建物が現れた。その名も「赤レンガ倉庫」(そのまんまやん)。

 分かりやすく云えば、土産物屋が集合している建物だな。ええ、私も買いましたともw










 さて、大桟橋で何をしていたかは次回で紹介するとして、帰りは中華街に寄ってみた。














 せっかくなので、とある店で肉まんを買って食べたのだが、この味がまた…(以下略)










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