美山の廃村椿


2009年3月21日
 

  暖冬とは云え、山をなめると痛い目に合う。とは云え行きたいものは行きたいので、左程山深くない美山の廃村椿へ行ってみることにした。10年前に1度訪れているのであるが、全く記憶に無かったのも動機の一つである。

 昨年、山県市美山の林道を集中して走ったのだが、未だ残している部分も若干ある。
それは全く走った事が無い場所だったり、記録には残っているが記憶は無い道だったりするのだが(笑)。

 今回行った椿は、後者である。10年前に突入した記録が残っているのだが、全く記憶が無い。
 この時期、美山の深部、例えば仲越などへ行こうと思えばそれなりの覚悟(積雪、凍結による転倒等)が必要になるのだが、椿であれば左程用心する事も無いだろうと思い、行って見ることにした。


 椿橋から北が椿である。

 橋の銘板には椿谷と書いてあったが、地図上の椿谷はもっと北の、奥の方である。










 道はこんな感じでコンクリートの荒れた舗装が続き、そして所々パッチ状に落葉が積もっている。数日来の好天で乾いているからいいようなものの、濡れていたら二輪にとっては恐怖である。特に、昨年末はツルツルのタイヤで走っていたので尚更だ。



 橋から10分ほど走ると、椿村離村記念碑が現れる。












 少し開けたこの辺りが村の入口だったようだ。記念碑に全く記憶が無いなと思ったのだが、裏に平成16年10月吉日建立とあるので納得。10年前には無かったものだ。
写真が小さいので分かりにくいとは思うが、離村時(?)の戸数は67。ならば少なく見積っても100人以上がここで暮していた事になる。

 記念碑裏の文言を鵜呑みにすれば、椿村は文亀元年頃(1501年、室町時代)開村、昭和46年(1971年、大阪万博の翌年)閉村(集団移転)とあるので、470年続いた事になる。
 昨年訪れた美山の集落が廃止となったのも、多くは同時期である。
 昭和39年(1964年)の東京オリンピックから昭和45年(1970年)の大阪万博まで、日本経済は成長を続けていたのだが、一方で、地方ではこのように徐々に過疎が進みだしていたのである(それにしても椿など当時としてはそれほど地方、或は山奥という訳では無かったと思うのだが)。


 もう少し走ると、川縁に桜。

 岐阜市内では未だ咲いていないのだが、なぜかこんな山の中で咲いていた。撮影時は(時期的に)「梅」だろうと思って撮ったのだが、帰って写真に写った木肌を良く見てみるとどうやら桜のようだ。
 何故こんな気温の低いところで最早桜とは思うが、事実は動かせない(笑)。今年が暖かかった証拠だろうか。






 
椿分校跡である。この辺りが椿村の位置的な中心となるようだ。

 昭和46年閉校とあるので、集団移転と同時である。
 校舎の位置は良くわからなかった。土台でも残っているかと思ったが分からない。校舎を取り壊した時に一緒に壊したのだろうか。







 ただ、校庭にはブランコとジャングルジムが真っ赤に錆びて残っていた。










 
 書き忘れたが、学校は道路より一段高い所に建っていたようだ。校庭から道を見下ろしたのがこの写真である。





 廃校跡から暫く進むと、道が分岐している。












 道標には左区内至北山村(現在の神崎の辺り)、右日永至(以下、読めない)とある。何れにせよ地図上では行止まり、例え道があったにしても登山道か林業用作業道程度であろう。



 ちなみに、この分岐の位置は開けていて、切り出した木材の置場(?)になっている。

奥に見えているのはひょっとしたら当時の家屋かもしれないが、現在は作業小屋として使われているようだ。
 手前に石垣が積まれているが、当時はここにも家があったのだろう。
 椿では当時のものと思われる家屋はほとんど残っていない(集団移転の条件として取り壊された?)。そのかわりに、このような家屋の土台であったと思われる石垣が道の両側あちらこちらに散見された。



 ここの分岐を左へ行くと、林道を造成中であった。

 こういう場合、基本的に私は近づかない。通れないのは分かっているし、何より作業の邪魔になるからである。余分な軋轢を起こしても、次は自分が通行止の憂き目に合うのは自明の理なので遠巻きに見るだけで引き返す事にしている。
 ただ、こういった作業員が昔に比べて随分と優しくなったと感じるのは、時代の所為か、それとも自分が歳取ってしまっただけかはわからない。





 分岐まで引き返して今度は直進してみるが、直進方向には厳重なゲートが出現。












 ならばと左へ行ってみたが、こちらは砂防ダムで行止まり。



 東経35度37分55.9秒、北緯136度45分47.6秒。これが到達できた椿の最深部である。

 なおこの日、天気もよかったせいか、ちらほらと人影も見え、とても廃村とは思えない様子であった。


KDXツーリング記録2009へ